昭和28年 御神事の意味 

平成28年12月18日の松原月次祭は楳木代表先生が出向してくださった最後の祭典でした。若干割愛しておりますが、当時のままのテープ起こしです。

楳木代表先生のお言葉

久しぶりに此処の松原出張所のね、えー、足を楽にして下さい・・

田中さんと初めて此処で会ったときは、まだうら若き女性だったんだけど(笑)

いつも言うんだけど、それが原点だから・・

何故その原点を思い出すかというと、メシヤ教を発足してㇲのご神体様を御奉斎さして頂こうと始めたばかりの頃だったんだよね、田中さんと出会ったのは・・で、このご神体様は今年になってからこと細かく、このご神体様を世に出す為に昭和28年夏から秋すぎにかけて井上茂登吉先生と長谷川ナミという方とメシヤ様の3人で伊弉諾、伊弉冉尊様の御神業を進められた、その時にメシヤ様が、「これで人類が救われることになった」と、良かったと言われたのはこの御神体を将来世の中に出すことが出来る、手筈がその時に整ったという・・そういうことだということを、今回教えて頂いた訳ね。

井上茂登吉、長谷川ナミご夫婦の御経綸の件の全文です。
「私達夫婦は、昭和25年の法難事件の後、お邸を下がる事になりました。
メシヤ様から『今どんなことを言われても耐え忍べ。大変大事な時で、時所位が決まるのだから耐え忍べ』との力強いお言葉を頂き、メシヤ様にお仕えできない寂しさや、辛さ、悲しさもありましたが、小さな古い借家に移り家事に専念することになりました。
そんな折、昭和28年7月のある日、側近の樋口ひめさんが飛び込んできて、「一時にメシヤ様がお見えになるから今からお掃除しましょう」と言う事で、私は浄化後の長男をおんぶしたまま樋口さんと掃除を済ませ、花を活け、冷たい麦茶をご用意して、胸ときめかせてお待ち申し上げておりました。
すると『暑いね』とお声がしたので、私は子供をおんぶしたまま平伏してお迎え申し上げました。
頭を上げるとパンツ一枚のメシヤ様が、すでに下駄をお脱ぎになっておいでなのでびっくり致しておりますと、お供の井上がお召し物を両手で抱えて入って来ました。
我が家は三部屋しかありませんでしたので六畳の洋間の籐椅子におかけになり、しばらくお涼みになられ、冷やした麦茶をお召し上がりになりました。
そしてご神前のテーブルを前にお座りになられ、私に『子供をおぶったままでいいからここへ来なさい』と仰って次のようにお話下さいました。
『あんたも三千年前に神様にお仕えしていた因縁のある一人だから話すが、今私はどうしてもやらなければならないことがある。邸は人の出入りがあり、途中邪魔が入って出来ないのだが、これは将来教団の発展と人類救済に大きな訳がある。(実はもっと詳しいお話がありましたが・・)その神事に井上の家を使いたい』とおっしゃられました。
私はあまりに大きな御用のお手伝いにお使い頂ける事に身の引き締まる思いが致しましたが、即座にその御用にお使い頂きたくお願い申し上げました。
メシヤ様はニコニコなさって『そうか子供をおぶって人知れずお役に立つんだ。こんな素晴らしいことはないんじゃあないか』とお喜び下さいました。
私は有頂天で、またメシヤ様のお役に立てる事の嬉しさで舞い上がっていましたが、冷静になってみますと、さて、この借家は確かに近所に二軒しかなく、メシヤ様はおつむが真っ白でどこにいてもすぐおわかりになりますから、さほど人が興味本位で覗いたり、口に上せたりする事はないでしょうが、メシヤ様がお使いになるには、あまりにもお粗末で申し訳なく思いました。
ところがメシヤ様は、私の胸の内を即座に見抜かれ、『新婚当時を思い出すな、今年は此処で我慢しよう』と仰って、お帰りになりました。
ところが二日後、『いい家があったから見ておいで』とのお言葉で、早速見に行きますと、かなり広い敷地に三十五坪位の家で、主になる部屋からの眺めは、メシヤ様が『富士見亭のような感じがする』と大変お気に召され、すっかり手入れが済んで二代様とお出まし下さいました。
その後度々お出まし下さり、一夏が過ぎ、秋、熱海にお帰りになるまで続きました。
私の御用は、お出ましの準備をさせて頂く事であり、ご挨拶を済ますと子供を背負って外に出て過ごしました。
その間、メシヤ様と夫と長谷川ナミさん(イザナミノミコトの型・現界の罪を背負う。当時の側近や高弟の方は、太古からの因縁でメシヤ様に引き寄せられて御用をしていた)だけで神事が行われました。
最後の日に、メシヤ様は『これで間に合った、人類が救われることになるんだ。あんたは子供と一緒に大変な御用をしたんだ。ありがとう』と仰って下さいました。
私はそのお言葉だけで、ただうつむいて感激で涙が溢れるばかりでした。メシヤ様のお側を離れてから、御用にお使い頂けない寂しさや辛さはもうありませんでした。」どこにいてもどんな立場でも、誠をもっていれば神様が必要とされお使いになる事が分かりました。」

そして田中さんが初めて私と繋がった15年前は、この御神体で間違いないと思ってたんだけど、組織的には非常に小さい・・一握りの人達と始めたばかりなので、このことによって世の中が本当に変わっていくことが出来るかという・・その・・絶対的な自信がある訳でもない中でスタートした時に、田中さんの家のご守護があったので・・・

これは、この御神体で必ず世界が大転換して行く事が出来るだろうと。

そういう自信を持たせて貰った・・というのがこの松原出張所としては、一番大きいので。

言葉としては、うら若き20代とか言うので(笑)

いつも言うので(笑)

もう、40代になってしまいましたが・・・(笑)

そういうことがあるのでね・・言われるのは年齢的にいつも引っかかるかもいれないけれど、

原点はいつも、そういう事であったんだと。

しかも昭和が霊で平成が体だという風に教えて頂いているので、昭和28年が平成28年に反映しているという事で、6月からずっとそういうことが、私に対してご垂示が下っている理由はそういう事なんだと、今言われているところであります。

だからどうしても原点としては、田中さんの事をいつも此処では力を頂いた出来事であったと。

そういう風にいつも確認しておきたいと。いつも思う訳ですね。

(省略)

大阪の出発としては、どこまでも松原からスタートしているのでね。

そういう事をいつも心に置いて、進んで頂きたいと思います。

神様の順序としては、松原支部なんだよね、本当はね。