「世界救世(メシヤ)教」復興運動の根拠

今回の「『景仰』を如何ように拝読するか」は長くなりましたが、2回に亘る<神界通信>から拝されるように「世界救世(メシヤ)教」復興運動の機運が高まってきましたので、この時期に基本的な捉え方を反復していただくように整理しておきました。

また、不思議体験をされ、自らの因縁使命を自覚される人も増加していますので、尚一層基本に立ち返って御神業を担っていただくために、考え方をまとめておきました。

私自身、「世界救世(メシヤ)教」復興運動を開始する時期を待たされておりましたが、いよいよ時期が到来した観があります。そして、その運動に必要な方々は選任されているようです。もちろん、今日まで片仮名のみの表記でメシヤ教の御神業を展開してきたことも深い意味がある訳です。具体的取り組みの見本を提示しつつ、来るべき時にそれを普遍化するためだったのです。

 

そこで、「世界救世(メシヤ)教」開教時を振り返っておきます。メシヤ様は、昭和25年2月4日に開教を宣せられております。そして『私は、これまで顧問の名の下に、いはば蔭にあって経綸を行ってゐたが、漸く基礎的工作も出来上ったので、茲(ここ)に表面的活動に移る事となった訳である』と述べられております。(「信仰読本」12頁参照)

ところが、2月18日付で『救世(メシヤ)教の名に就(つい)て』を発表されています。その末尾を『以上の意味であるから、メシヤとは救世の意味だけであって、今後の活動に適合する為のもので他に意味はないので其(その)事を茲(ここ)に断わっておくのである。人によってはキリスト教に関係のある名称だから、時局便乗主義からと思うかも知れないが、そういう点は些かもないのである。』と、意味深長な表現で結ばれています。

これは、開教に対して異論を唱える申し入れがあったことに対する発表でしょう。また、この時期新聞社の取材方法や問い合わせに対しても度々ご批判を加えられております。この二点の事柄は、開教と同時にメシヤ様の御意図とは別の働きによる暗雲がすでに立ち込み始めていた、と推察できます。

そのような中、同年3月5日、6日、7日に

「五六七大祭」

 

が執り行われ、『私自身としても未だメシヤとは名のらないと共に、キリストの再臨ともいはない。之は或時期までは神様から発表を禁じられてゐるからでもある。』と述べられております。

そして、『・・・勿論教も必要であるが、それ以上大神力の発揮がなくてはならない。といっても生神様的個人の力でもむづかしい。どうしても全人類を主宰し給う主の神即ちヱホバの絶対力の発現である。』と、主宰神について明言されております。

さらには、お言葉の最後を『此(この)事が根本であって、之を深く認識する事によって初めて大神業に参加され得る資格者となるのである。』と締められております。

このお言葉の直後、同3月11日付で『世界救世(メシヤ)教 教義』をご発表になられているのです。

しかし大変残念なことながら、当時の教団を暗雲が覆い尽くしました。一つの形としては、弟子達の不始末による5月8日からの「ご法難」です。

もう一つの形としては、「ご法難」後にメシヤ様へ内外から課せられた様々な‘制約’です。結局、『開教の辞』でお述べになられた『時期の推移に従って漸次発表する』とされた内容は実現されませんでした。‘制約’なしに唯一公式発表されたのは『世界救世(メシヤ)教 教義』だけになってしまったのです。

今後、「世界救世(メシヤ)教」復興運動を展開する上で『開教の辞』の具現化が必須であることを念頭に置き、陣容を整えてまいらねばなりません。そして、運動の端緒は『世界救世(メシヤ)教 教義』であることを再認識していただきたい、と願うものであります。

平成18年7月メシヤ講座より