メール交換⑦

Q. 前回、前々回のメシヤ講座・特選集において、メシヤ様が私達に大いなる示唆をお与えくださっていたことが判らせていただきました。具体的にはどのような想念を持って御神業に臨めばよいのでしょうか。

A. 御神業に臨む意義は、『メシヤ様のご悲願達成にお尽くしする』ということです。

ご悲願とは、『可能な限り全人類をお救いする』ということがまずあります。お救いする行為とは、心身の病気の快癒に寄与したり、問題や悩みの解決を計るなど多種多様な取り組みです。そのことにお尽くしさせていただきます。

そして、健康を許された人が健康を維持し、問題解決を許された人が同じ問題を繰り返さないように、お世話に取り組むということが次にあります。それらを総じて『救われた人を天国天人となるように教え導く』ということです。そのことにお尽くしさせていただきます。

また、そうしたことを累進的に積み重ねて何を目指すのかと言いますと、『この地上に天国を樹立する』ということです。そのことにお尽くしさせていただきます。

それ故に、『地上天国を建設するために、神様の命によって生まれた』というご自覚をそれぞれ持っていただきたいですね。しかも『天国天人となるように教え導く』というからには、自らの「座」に対する努力を怠らないことが求められます。

究極的な想念としては、『自分の生命は自分だけのものではなく、メシヤ様と共にあって、メシヤ様のためにある生命なのである』ということになります。このことを信じる人が放つ意念、このことを信じる人が放射する光、このことを信じる人が発する言動が一人ひとりの魂を浄め、一人ひとりの問題を解決し、一人ひとりの存在に自信を与えます。

衆生済度の在り方

Q. 御神業の中心は、人様をお救いする、ということであると考えますが、どのように取り組ませていただいたらよろしいのでしょうか。

A. 問題を起こす、悩みを抱える、ということは『霊の曇りが原因である』と御教えいただいておりますから、そこにどう取り組むかが『救い』である訳です。

私達は浄霊という絶対的救済力を授かっていますので、まずそれを行使すればよいのです。現代は非常に取り組みやすい社会になっておりますので、気軽に実践させていただけば良いと思います。

取り分け、最先端の学究に精通していればいる程、浄霊力の存在を認めざるを得ないようになるものです。現在、そのような人が増えている時代になっております。草創期よりも数段容易に取り組めるのではないでしょうか。

ところが、気を付けねばならないこともありまして、時代苦が複雑化しているということを念頭に置かねばなりません。

草創期と異なり、時代の精神が大きく変容しております。よく取り沙汰されますのは、自己犠牲よりも自己充足を美化する風潮です。たとえば‘癒し系○○’という言葉が氾濫していますが、癒されることばかりが求められて、人を癒してあげる実践というものが論じられていません。

また、現代人は、物質偏重の社会に生きて、きちんとした躾や教育を受け辛い環境で成長してきたために、霊の曇りが発生しやすい生活状況にあります。たとえば、嘘をつかない、人に迷惑を掛けない、自分のことができたら人の手伝いをする、という成長過程を辿るように躾を受けてない人が多くなっています。そのため、霊は浄霊をいただくことによって浄めていただけるが、生活の中でまた霊が曇るということが生じてまいります。

浄霊で霊の曇りを解消しつつ、再び霊の曇りを発生させないような生活を送るようにお世話してゆかねばなりません。曇りの発生源に対処して、根本的に生活の在り方を修正していかねばなりません。そしてより良い生活を送れるようにお世話いたします。そうしなければ真の救済とはなりません。

『精神』を求め、実行に移す

Q. 「精神」の重要性を痛感させられます。以前「明主様(メシヤ様)のご精神を現代に求める」という先生のご本で、‘なるほど’と思わされました。

A. 御神業に取り組ませていただこうと思えば思うほど、「メシヤ様のご精神を現代に求める」という姿勢が不可欠なのです。

ご精神は、何時もお話いたしますように「利他愛」、「合理性」、「即時性」です。「利他愛」は説明の必要はありませんね。

「合理性」は、『神様というのは、理屈に合えば愛ですが、合わなければどうにもなりませんよ』というお言葉で判らせていただけます。質疑応答の随所に「理屈に合う」ことの重要性を滲(にじ)ませておられることからも、物事の判断基準を「合理性」に置かれていたことが拝察できます。

「即時性」は、‘今日、ただ今、やるべきことをすぐやる’というご姿勢をメシヤ様は一貫されていたことから拝察できます。メシヤ様は、青年期に小間物屋を開業された時、毎日お店の掃除から一日の業務をスタ-トされていました。そして、教祖となられてからも、深夜の終業時の「火の始末」はご自身でされていました。

日本人には、「精神」というものを重く受け止めることができない癖のようなものがあります。

たとえば、今「親王殿下ご誕生」の祝賀に沸いております。大変清々しい気分にしていただいております。しかし、今になっても「後世のため」との理由で、「皇室典範」の改正を真顔で訴える専門家や評論家がいます。この改正というものは、「法の精神」からすると大変な問題を孕んでいるのです。

新宮様はご誕生と共に皇位継承第三位になられました。それに対して女系天皇を認めるなどとする改正論は、この第三位を剥奪する論議なのです。個人の権利を剥奪する論議というものは「法の精神」に著しく悖(もと)ることなのです。そのことを真顔で論ずる人がいて、それに賛同する人がいるのですから、驚かされます。

話は戻りますが、「メシヤ様のご精神」を重く受け止めてこなかったために、関連(岡田茂吉教祖を仰ぐ)教団は迷走しているのです。この迷走は、夜の時代の「摩り替え」とも通ずるところがあります。ちょっとした嘘も、人から指摘されて嘘の上塗りをしてゆけば、最初は小さいものでも時間の経過と共に大きなズレとなってしまいます。

「迷走の歴史」とも見えてしまう原因は、「メシヤ様のご精神」を求める姿勢の希薄さにあると思われます。当然、メシヤ様の願われる信仰姿勢にはなり得ていません。

昭和25年のご法難もそうした姿勢に端を発したことは言うまでもありません。しかも前回お話いたしましたように、メシヤ様という存在に対して、その御神業を阻止しようとする働きがあり続けています。それは関連教団にも覆いかぶさっており、そのために各教団の志を曇らせ、御神業指針を鈍らせています。

私達は「メシヤ様のご精神」を現代に求め続けると共に、「メシヤ様のご悲願達成」を祈りつつ実践に努め、しかも「曲(まが)の障(さや)り」を防いでゆかねばならない、と強く思います。

平成18年9月メシヤ講座より