自然宗教―進化の過程での猿と人間の分岐点

私達が宗教というものを考える際に念頭に置いておきたい観点として、メシヤ講座で自然宗教と創唱宗教という分類について触れました。問題提起的な手法をとりまして今月は更に考えていただきました。

一般に生命誌を辿ってゆきますと、600万年前のクロマニヨン人の遺骨が発見された時に、胸のところから花の花粉が検出されました。そのことから、死者に花を手向けたのだろう、ということになりました。葬儀を行った起源ということになっておりますし、自然宗教の始まりでもあるのです。

また当然ながら、このことが人間の始まりだということになっています。進化の過程で、人類と猿は枝分かれをしますが、ここが分岐点だろうということです。

つまり、宗教行為を執り行ったところで、猿と人間は枝分かれをしたのです。宗教行為を行うことが人間ということでもあるのです。取り分け、葬儀は人間のみが執り行います。動物は行いません。動物は自ら葬儀を行い、肉体を土に還します。ですから、事故死以外の動物の死体を私達は見たことがありません。

人類は、宗教行為を軸に、つまり自然宗教を通して生活を洗練しながら進歩してまいりました。また、民族を形成して民族によって独特な文化も培ってまいりました。

日本の場合、ここにお鎮まりの「伊都能売」観音様のご本体である伊都能売神皇を中心として、大和民族として洗練された文化を持つに到りました。そして、精神性が充分に熟成しました。

そのように精神文化が熟成した時に、主神様は、この世を一旦『夜の時代』にして、物質文明を発展させるようになさいました。そして将来物心両面の相俟った真文明を創るというご計画の下に約三千年前に『夜の時代』となったのです。『夜の時代』というのは、冒頭述べましたように朝鮮半島から素盞鳴尊が押し寄せてきたことから始まったことは御教えにある通りです。

夜の時代は、悪主善従の世界ですので、悪の方が勝ります。その主体は戦争が繰り広げられるということです。我々は非常に便利な生活をしていますが、便利さというものはほとんどの場合戦争によって培われてきました。九州から北海道まで2時間ちょっとで来れますが、飛行機というものがここまで開発されたのも、戦争があったからこそです。ライト兄弟が発明しましたが、そのままでは開発のスピードは上がらなかったと思われます。

やはり開発のスピードは戦争によって加速度を増しました。それは、戦争により国の予算の大半を軍事活動に注ぎ込むからです。開発に膨大な予算が組まれる訳です。しかも軍需産業の利権が絡み、開発競争には拍車が掛かります。

こうした唯物的な豊かさは、『夜の時代』だからこそ発展してきたのです。しかし、悪主善従の世界がズーッと続くと人類は堕落の一途を辿ります。それでは人類は滅んでしまいますから、人類に良心を留めるべく、教祖を持った宗教が生れ始めました。これが創唱宗教と言われている宗教です。

平成19年10月メシヤ講座より