霊主体従の法則

さて、次に認識していただきたい御教えに、霊界の存在に基づく法則である『霊主体従の法則』があります。

人生観の根底に霊界の存在を据えていただき、実生活の中では『霊主体従の法則』を絶えず意識していただきたいのです。『霊主体従の法則』については次のように御教えをくださっております。

『そうして現代科学といえば勿論唯物科学であり、唯物科学とは目に見え、手に触るる形あるものを対象として研究し進歩したものであるから、凡ゆる物象の表面だけが或程度判ったに過ぎないのであって、その内面に存在する重要な或物に気附かなかったのである。この或物とは何かというと、これこそ無に等しいもので、名附けて霊という。この霊なるものこそ凡ゆる物象の主体であって、この事の認識が出来ない限り、何程科学が進歩したといっても、それは半分の進歩であり、跛行的でしかない以上、正しい文化の生まれる筈はないのであるから、この事が明らかになって初めて今まで不可解とされていた凡ゆる問題も、容易に解決されるのである。何となれば一切は霊が主で体が従であり、霊主体従が万有の法則であるからである。一例を挙げれば人間が四肢五体を動かすのも、眼に見えざる意志の命によるので、決して五体が勝手に動くのではないと同様である。』
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ここでは『霊主体従 の法則』は『万有の法則である』と示されております。それ故に、日常生活で普段に意識しておくことが、これまた幸福の絶対的条件と言えます。

そして勿論、信仰生活上でも不可欠の考え方と言えます。大切なところですので、もう少し引用させていただきます。

『右の如く、人霊に溜った汚穢即ち曇りであるが、之は透明体である人霊に、不透明体の部分が発生する。そうして此原因には二種類ある。一は霊自体に発生する曇りと、二は体から移写される曇りである。先ず前者から説いてみるが、人霊の内奥は求心的三重になっている。之を中心から逆に遠心的に説いてみれば、中心は所謂(いわゆる)魂である。魂とは人間が此世に生れる場合、最初男性を通じて女性の腹へ宿るヽ(ちょん)である。処が魂を包んでいるものが心であり、心を包んでいるものが霊であるから、魂の如何は其侭心を通じて霊へ反映すると共に、霊の如何は心を通じて魂に反映する。此様に魂と心と霊とは相互関係で三位一体である。勿論如何なる人間と雖も、生きている間善も行えば悪も行う。その場合善よりも悪が多ければ差引多いだけが罪となり、それが魂へ反映して曇りとなる。為に心が曇り、霊が曇るという順序である。すると浄化作用発生によって曇りの排除が行われる。其過程として一旦曇りの容積は縮小され、濃度化し、体内の何れかの局所に集結する。面白い事には罪によって固結場所が異(ちが)う。例えば目の罪は目に、頭の罪は頭に、胸の罪は胸にというように相応するのである。』≪『霊主体従 』全文へ≫

平成20年11月メシヤ講座より