主神様の分け身魂を一人ひとりがいただいていることの認識

札幌定山渓では挨拶の後、近くに引っ越した信者さん宅に会場を移し、様々なことを話し合いました。その中で印象的な話が出ました。「夢物語」に関することです。その内容の一部を「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」に投稿していただいていますので、引用いたします。

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皆さんこんにちは。札幌支部ML担当です。

楳木先生の夢物語を読ませていただきました。

私が最近、見た夢について投稿させていただきます。

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私の母が、ある農場に行き、「これからは、本来の自然農法をやりましょう。」と訴えたのですが、農場にいる人からはあまりいい反応がなかったと、がっかりしていました。それを聞いた私は、「いいんだよ、分かる人だけでやればいいんだよ。」と言いました。

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この夢を見て以前拝読した以下の御教えを思い出しました。

『従って本教の話をして分らなかったり、事実に目を背けたり、御神書を見せても分らない人は、時期が来ていないか既に滅びの方に運命づけられているのであるから、いかに救わんとして努力するといえども徒労に過ぎないばかりか、救われるべき人に対してそれだけ救いが遅れることになるので、この点も厳に戒しめられているところである。』(信徒諸氏に告ぐ!昭和29年10月20日)

以前の所属教団の方と話すと、「信仰実践」=「活動」と考えている方が圧倒的に多く、「信仰実践」=「日々の生活の積み重ね」と考えている私は、話が合わないなと感じることが多々あります。そんな時、私はそれ以上突っ込んだ話をしないようにしています。

「活動」に囚われるよりも、日常生活において信仰を持っていない人と接する中で、私自身の心・言・行を通じて御教えの「字句」ではなく、「内容」をお伝えするように心がけると同時に、私の身の周りにいる方の心・言・行から、逆に御教えの意味を学ばせていただく機会も多く、「伝える」という意識ばかりでなく、「学ぶ」という姿勢で人と接することが大切だと感じています。まだまだ、力不足ですが、メシヤ教で御教えを学ばせていただきながら、あくまで日々の生活こそが大切であることを肝に銘じて生きていきたいと思います。

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こうした内容と私の「夢物語」とを併せて考えると、「私達は一人ひとり主神様から分け身魂をいただいているので、私たち自身の自覚こそが大切なように感じる。」という共通認識を得て、札幌での「メシヤ講座」を終了しました。

「夢物語」で消そうと心掛けた人々の執着とは、専従者取り分け運営側の幹部の面々である、と改めて思わされます。運営面だけが先行して主導権に執着心を持ち、結果的に布教現場では前述したように御教えに基づいた論理的な説明の下に問題解決に取り組む姿勢が欠如している、というのが現状なのです。

 

平成22年4月メシヤ講座より