「ミクラタナ」の神様という御神名

そういうふうになってゆく行程の根源に置いていただきたいのが、今日お伝えする内容です。

『昭和25年6月15日にメシヤ様の腹中の光の玉に魂が宿られた』というお話は聞いていると思いますね。

【参照・「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」6月18日書き込み分より引用】

『ここで言いたい事は現在の私である。それは静岡事件の際留置所の中で、頗る神秘な神業が行われた事はいつか話した事があるが、その時私の体内に入られたのが最高最貴の○○○○○の神様であって、出所早々散花結実の書を千枚かいて主なる信者に頒ち与えたのも、その時の経綸によったのである。「神様と私との関係」(地上天国57号・昭和29年2月25日)』

光の玉は元々ある(昭和元年の御啓示により御存在を御自覚)ので浄霊力を万人に授けられた訳ですが、その光の玉に神御魂が宿られたのが6月15日で、その時宿られた神様は『○○○○○』の神様というようにずーっと伏せられております。

で、ここ数年前からですね、三重支部の濵口さんもあるサイトを見つけて、そこでその御神名を知ることができまして、私もその御神名と我々が御神業を続けさせていただいているその繋がりがですね、どうしても繋がってゆかない部分がありました。大よその教団もそれが繋がっていないからか、正式発表もしていないと思うのです。

出会った資料そのものは公開の許可を得ていませんので、いただいた資料に基づいて説明をいたします。この御神名はですね、メシヤ様の側近中の側近で井上茂登吉先生という方がおりまして、MOAの資料の中では、この井上茂登吉先生ともう一人の女性(長谷川ナミ女史)とメシヤ様と御三方で、本部ではなくて井上邸で御経綸上重大な御神事が執り行われた、と記述されています。それ故に明かされていた内容だと拝することができます。(中略)

その神様の御神名はですね。『ミクラタナ』の神様であります。この神御魂についてメシヤ様はどういうふうに御説明されているかというと、今まで光の玉が御自身のお腹にあられたのですけども、そこへ『魂が宿った』と仰られています。魂が宿ったことによって新たに『メシヤ』様が御生まれになられたということです。

この宿られた瞬間というのが、実はこの御神体の形である訳ですね。光の玉があった訳だから、そこへ「ミクラタナ」の神様が神御魂として宿られたので、メシヤ様という御存在になられたということです。過去に大本教系の「日月神示」とか「大本神諭」などを読んでいると「『○』に『・』というものが大転換を生み出す」という予言を目にしたと思います。しかし、この『○』に『・』というものが大転換に繋がるということについては中々解らないものである訳ですね。

メシヤ様の御言葉をずーっと繋ぎ合わせていくと、この『○』に『・』という御存在に対して私達が御祈りするということは、メシヤ様の腹中に宿られたメシヤ様そのものに御祈りするということと同時に、三重支部の方から報告があったような、所謂太陽の黒点ということが象徴的に現われてくるものと一致するということで、メシヤ様であり主神様であられるということになります。そういう御存在に直接御祈りするという事になってゆきます。

そういうことになってゆくのですが、思い起こしてみると、私は主神様の御神体について最初メシヤ教を始める時に前の教団役員の方に「どういう形で信仰形態を整えていくんだ」というように尋ねられましたので、「主神様の御神体『○』に『・』の『ス』というお文字でゆきます」と話をしたことがあります。それから霊能者からも初期はかなり問い合わせが来たりしたので、いろいろ話し合った時に「主神様」という御存在はあまりに高過ぎるので、その高い存在を家庭や支部に御奉斎するというのはちょっと相応しくないのではないか、違う形が良いのではないか、と随分止められました。

しかし、これはメシヤ教を発足する時に「どういう御神体にさせていただくか」ということをメシヤ様に求めさせていただく中で、最後に示されたものであった訳です。しかも、その御文字が存在したということで決めたことであります。

それがちょうど立教11周年を迎えた祭典の日に、太陽の黒点に象徴的な変化が時節を合わせるように起こってきたということ。まあこの話していること自体がまだ十分お伝えしきれていないのですけれども、これが神様からの「それでいいんだ」と言う、ちょうど夕べですね、「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」に川崎の方から書き込んでいただきましたが、その本文にメシヤ様から『それでいいんだ』と夢の中で言われたと書き込まれていましたけれども、そういう思いが沸々と湧いてくるような出来事でした。

つまり間違いなかったと思わせていただいた訳です。

【参照・『一つの神秘』(栄光83号・昭和25年12月20日)より】

『愈々(いよいよ)、六月十五日(昭和25年)となった。すると朝まだき、今日の重大な意義がハッキリして来た。というのは以前かいた著書に、私のお腹の中に光の玉があるという事で、之を読んだ人は知っているだろうが、此(この)光の玉には今迄魂がなかった。処が愈々(いよいよ)今日○から○つた或(ある)高位の神様の魂が宿られた、即ち右の御魂が現世に生誕された事になるのである。之から此(この)神御魂が段々御育ちになり、成人されるに従って、玉の光は漸次輝きを増し、将来大偉徳を発揮さるるに到るのである。』

(また、この瞬間に神人合一の御境地に立たれた、ということが特筆すべきことです。先ほど引用の『神様と私との関係』の続きには次のように述べられています。

『処がその時から後の私は、以前のように神様に伺う事は必要がない事になったのである。というのは神霊は私の体内に在す以上、以前のように神と人との隔てが撤去され、神人合一の境地になったからである。つまり神即人である以上、私の行う事は神直接であるから、私の思うままを行(や)ればいい事になったのである。』

ここに引用した御論文『一つの神秘』と『神様と私との関係』は表裏一体と目され、そうであるからこそ、またこの繋がりが非常に重要である、という認識から「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」へ「御神格について」と題して書き込んだのです。)

 

平成22年6月メシヤ講座より