メシヤ様の御意図をより深く求めて

9月度拝読の『無機質界』では、7月からお話している素粒子の発見と深く関わってまいります。そこで、次の御論文を併せて拝読させていただくと、メシヤ様の御意図をより深く受け止めさせていただけるのではないか、と思いますので、最後に引用します。

拝読する中で『又宗教であるが、之も御多分に漏れず行詰ってどうにもならない。」とご指摘になられている事例は、某教団を見ているようで、胸が痛むところがあります。吟味してください。

『宗教、哲学、科学の一致』
(栄九十一号  昭和二十六年二月十四日)此論旨の内容は現在ある処の宗教、哲学、科学の水準よりも、幾層倍進歩したものであるが、之を読むに従って、納得される筈である。先づ、科学界の現在であるが之は誰も知る如く、原子時代に迄進んで来て、彼の湯川博士の中間子発見となったが、之は御承知の如く、原子科学の理論物理学としては最尖端に迄来ているのである。処が、全世界の科学者は之以上の発見を目指して非常な努力を払っているが、殆んど行詰り状態で、壁に突当ってどうにもならないというのが現状という事である。そうして面白い事には、哲学でも同様であって、最も新しいものとしては、彼の実存哲学であるが、之によるも科学と同様壁に突当って、どうにも動きがとれないのが事実である。そこで近来の哲学者は、絶対者の言葉に論理の鉾先をボカしているが、之は実に面白い。絶対者とはいう迄もなく神の代名詞である。神の言葉を使うと宗教の分野に入る事になるから止むを得ずそう言わざるを得ないのであろう。又宗教であるが、之も御多分に漏れず行詰ってどうにもならない。というのは宗教の本領である奇蹟が、寔に少ない実状である。そこでやむなく理論によって、それを補おうとしたり、種々の社会事業等によって、存在の価値を意義付けようとしている位で、人類の最も苦悩である病気、犯罪、戦争等に対しては、殆んど何等有効なる活動はなし得ないにみても、やはり行詰りをよく物語っている。此様な現実は、一体何を示唆しているのであろうか、勿論世界の有識者の誰もが同一観念の下に行き悩んでいるのである。茲に到って私は之等一切の、行詰りを打開し、一大指針を示すべく、今其論文を執筆中である。

従而、今其概念だけをかいてみるが、例えば、原子科学にしろ、今一歩進めば無機質界に突入して了うのである。何しろ此無機質界は、機械での測定は不可能であるから、把握することは全然出来ないのである。言う迄もなく、此世界こそ神霊界の手前であり、一切万有の根源であって、科学的に言えば勿論無限小の粒子によって、構成されている世界で、その粒子は光の根源でもあり之を放射能として応用する事も出来る。然も此放射能力は人類の経験にもない威力を発揮し得るのである。之を科学的に言えば理論神霊学である。そうして又科学上の実験物理学と同様実験神霊学でもある。

此実験神霊学の現われとして最近報告された処の、神霊の光に対し、レントゲン光線が透過出来なかったという事や、誰も居ないのに一大音響を発し、未信者である隣家の塀が倒れんとした事などの、奇蹟にみても明かである。従而現在人類が最も恐怖の的とされている彼の原子爆弾の光にしろ、恐らく透過は不可能であろう。とすれば此神霊の力によって、戦争なき時代を招来する事も、敢えて不可能ではないであろう。

今一つは、医学上唯一の病源とされている黴菌の発生源も、理論神霊学によれば、明確に把握出来るのであるから、之によって病なき世界の実現も、左程難しい事ではないのである。

之を一言にしていえば、宗教も哲学も科学も、神霊界の一歩手前に来て、行き悩んでいる以上、今日の如き暗黒無明の時代となっているのである。茲に於て神は、私をしてその障壁否岩戸を押開き、光明世界に導かんとする、其大愛が本教の出現となったのである。所謂、世界の岩戸開きといってもよかろう。

 

平成24年8月メシヤ講座より