祭事における作法の根本義、御神名を唱えることの有り難さ

これは、まず作法上の大事なことであります。では何故祝詞は見て上げないといけないかと言いますと、天津祝詞というのは大和民族の宗家に当たる神様がお創りになったものであるために、神様が作ったものを人間が奏上する訳ですので、しっかり一文字一文字を見つめて間違いのないように、あるいはその文字に込められた意味を深く受け止めながら奏上していかないといけないということであります。

そして、御神名を上げた後に前の教団ではすぐお祈りをしておりました。それから『惟神霊幸倍坐せ』と締めていたのですが、こうなると“御神名を唱えるということは一体何か”ということがこれまた薄れて行ってしまいます。形式として御神名を上げて、その頭を下げた時に“祈っている”ことが大事なことになってくる訳で、『惟神霊幸倍坐せ』と終わってしまいます。これでは御神名を唱えることの有り難さ、尊さということがこれまた薄れていきます。御神名を唱えるだけでも、もう有り難い訳です。

よく御講話の中では「御守護お願いをしたあと御守護御礼はどうしたらよろしいでしょうか。」とお聞きしている時に『御守護お願いをしたら御守護御礼をするのが本当だ』という言い回しのところもございますけども、実はこの御神名を唱えることが御守護をいただいている訳ですので、「主之大御神守り給へ幸倍給へ」と頭を下げた、そこで“御神名を唱えさせていただきましてありがとうございます。感謝申し上げ奉ります”というような気持ちで頭を下げる姿勢ができた時に、もうその瞬間が御守護をいただいている訳です。

それで、その後に人間として「惟神霊幸倍坐せ」・・・“神様の御心のまにまに生活をさせていただきますので、魂を太くしていただいて幸せな生活を許されますように”・・・これが実は最高の御祈願であります。その御祈りができたということをまた自分自身は感謝をさせていただいて、その後に個人参拝の場合にはお祈りをするべきことはさせていただいて、参拝を終えるという在り方が尊いのです。

この積み重ねをさせていただいた時に“主神様の御神名を唱えることの有り難さ”を参拝ごとに判らせていただくことを通して、主神様の御経綸というのを更に拝させていただくことができるようになると思います。その上で今まで私達が目と耳でズーッと記憶の中に留めてきました『宗教改革』と『医学革命』という御神業を、信仰が高まる中で進めさせていただきたいというふうに思います。

 

平成26年5月メシヤ講座より