開教の辞について

『開教の辞』(昭和二十五年三月十一日)

本文は『天国の福音書続篇(三)入門と奥座敷』55ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 岡山支部】

『主神様』に対する神観を明確に

楳木代表

さて、本日『開教の辞』として『世界救世(メシヤ)教の誕生に就て』を拝読させていただきました。ここに記されておりますように、昭和22年の8月30日に宗教法人として創立された「日本観音教団」と、昭和23年10月30日同じく創立された「日本五六七教会」が、昭和25年2月4日に一つになったという事であります。

で、3月3日のメシヤ降誕本祝典に御参拝された方には、このそれぞれの教団の教義について説明させていただきました。この二つの教団はそれぞれ教義を持ってですね、御神業を進められていたのですけれども、その教義のですね、主体は何かと言いますと『主神様』に対する概念であります。

過去、東方之光教団に所属されていた人達は、「経綸」ということを何度も聞かれてきたと思いますけれども、この「経綸」という言葉は、本来、主神様の『経綸』以外語れないことなのです。ところが、人間に都合の良い「経綸」としてですね、「今の経綸は・・・」とかいうような言い方をしてきました。

しかし、過去のこの二つのですね、「天国会」と「五六七会」、この代表者達は、この一切を主宰されている主宰神をずうっと求めて、そして、メシヤ様というところに繋がってきた訳であります。こうして両会が神観をずうっと確立していく中で、昭和25年2月4日に、メシヤ様が『世界救世(メシヤ)教』を開教されて、そして『世界救世(メシヤ)教教義』を創られたということであります。

こういう関係が分かっておかないとですね、それぞれの教団のトップが色々話すことの真偽を見抜くという言い方はおかしいのですけれども・・・キチリと判断することが出来ないところがありますので、その二つの教義を持って置きたいという方は支部の方へ御願いされてですね、印刷して見ていただきたいというふうに思います。

この『世界救世(メシヤ)教』の創立出現というのは5行目に、

『勿論神の深き御旨に由るのであって、人間の意図でない事は今更言うまでもない、何時も吾等が唱える処の、霊界に於ける夜昼転換の時期に愈よ入ったからである、之も吾等が常に言う処の仏教の救いは夜の期間中であるから夜の消滅と共に観世音菩薩の御救いの転移進展となるので、一言にして言えば仏滅を意味するのである、従而、観世音菩薩の御働きも救世主(メシヤ)のそれとなるのは勿論である、即ち化身仏であらせられた観世音菩薩は茲に仮面を脱いで、御本体である神の御働きとなり給うのである。』

ここはですね、『文明の創造』を拝読しないと十分理解できないところであります。ですから、私達は先々月までですね、『文明の創造』を全て拝読して、一つ一つ確認をさせていただきながら今日を迎えましたので、それで、この今拝読させていただいた内容が十分お分かりになられたことと思います。そして、このメシヤ様という御働きになるというのは、『化身仏であらせられた観世音菩薩は茲に仮面を脱いで』ということであります。

そして、『御本体である神の御働きとなり給うのである。』・・・で、観音様の方が柔らかいですので、どうしても観音様という所に私達の心というのはですね、奪われがちなのですけれども、メシヤ様という御存在に、本来の御存在になった訳ですので、そうしたことを十分認識をさせていただいて、真の救いの行使をですね、共々にさせていただきたいというふうに思います。

 

浄化作用の捉え方について

楳木代表

そしてその次にですね、

『霊界が昼となる以上、之が現界に移写するに於ては、夜の文化は当然不用なものは滅び有用な物のみが残る事となるのは当然である、それのみではない、長年月に渉る暗黒時代によって人類の罪穢の少なからず堆積せる以上、それの清掃作用が行はれなくてはならない』

この『清掃作用が行はれなくてはならない』ということが、私達の上に起きてくる現在の浄化であります。この浄化というのは、ここに照らして考えていかないと浄化の捉え方が間違っていきます。『夜の時代』の癖でですね、浄化作用を捉えていくと、浄化は恐ろしいもの、怖いもの、嫌なものというふうになってしまいますけれども、『夜昼転換』の上で浄化作用を捉えていくと大変ありがたいものである、と。感謝で受け止めさせていただけるし、前向きに受け止めることが出来ますので・・・。

幸い、この度3月3日にですね、岡山支部を代表して体験報告をしていただいた真症癌のご報告もここに照らしていけばですね、『夜の時代』に堆積した罪穢の清掃作用なのだというふうに受け止めていけば、自分がですね、遡っていける年数というのは、現在から生まれたところまで遡っていけます。

 

癌の場合の対応策

楳木代表

それから癌の場合、真症癌はそこから来ておりますので、そっちを改めていかない限り、全てを解決するという事には繋がっていきません。それから御教えに於ける擬似癌の場合はですね、現世の薬毒と、それから生活の中で関わってくる化学物質が大きく関係してきますので、擬似癌の場合はそちらを改善していかないといけないので、少なくとも浄霊をいただきつつですね、生活上使っているものを全てチェックしていって、癌の原因になるものを排除していくような生活をしていかないといけないところがあります。それもですね、一つ一つ気になることがあったら、支部、出張所へ尋ねながら、「これは大丈夫でしょうか」と、いつもチェックしながら修正しつつ進んでいただきたいと思います。

そうしたことが、この『夜の文化は当然不用なものは滅び有用な物のみが残る』という、こういうことに繋がっていきます。

それから「善言讃詞」をですね、メシヤ様御昇天後ですね、「多寶佛塔」というところを「神殿玉楼」と書き変えた人達は、実はこのことが分かってなかったということです。『不用なものは滅び有用な物のみが残る』ということですので、「多寶佛塔」は当然残っていく訳なのです。

それは仏教美術の粋ですから・・・。しかも、建築技術の粋がああいう形で残っていく訳ですので、『夜の文化』の中でも有用なものに属するという判断が出来れば、ああいう書き変えはしなかったということであります。そういうふうに一つ一つ、こうした御教えに照らしてですね、今まで色々語り合った内容というものをチェックしていただければ、大変ありがたいというふうに思います。

そしてですね、有用な物が残って不用なものは滅びていくということになると、非常に厳しい状態になるので、57ページのですね、

『然し乍ら右は止むを得ないとしても神の恩恵は、一人でも多く滅ぶるものを救はせ給はんとして、神の代行者を選び救世の大業を行はせ給うのである、又その使命達成の機関として運用されるのが本教であるから、本教の使命たるや実に大なりというべきである、此意味に於て愈よ切迫せる最後の時期に当っての活動こそ括目すべきものがあらう、其結果吾の唱導する地上天国こそ最後の目標でなければならないのである。』

このことが、メシヤ様の御出現の理由でありますし、私達がそのメシヤ様に繋がって、そして今、御神業として臨ませていただこうというのは、最後の目標である地上天国を建設するためにあるのだということです。

それから最後から4行目、58ページの後から4行目ですね、

「今一つは観世音菩薩は、善悪無差別的の救済であったが、愈よ地上天国が目前に迫り来った、今日茲に善悪を立別け、善を育て悪を滅しなければならない事になった、所謂悪のトドメである、従而救ひの力も決定的でなくてはならない、その力こそメシヤの揮はせらるる大神力である。」

ということでありますので、この悪のトドメを嫌った人達が『世界救世(メシヤ)教』を「世界救世(キュウセイ)教」にしてしまったということです。このことをしっかり認識しておいていただきたいと思います。

それで悪のトドメをするために私達は『世界救世(メシヤ)教』を復興しようとして、今共々に動いているということであります。

********************************************************************

【メシヤ講座 大阪支部】

 

『右の滅ぶべき不用物とは之を指して言うのである、而もそれと同時に昼の文化の建設が開始さるるのである、斯の如き空前絶後の一大転機とは、何を指すのであらうか、全く何千年否何万年以前より決定してゐた神のプログラムなのである。』

この『神のプログラムなのである。』というところを、昨年の秋から今年の1月まで学ばせていただいた内容にあたりますので、私達は『昼の文化』の建設を開始しているのだ、というふうに受け止めていただいて、日常生活も社会生活も『昼の文化』の建設というところに向けて動いているのだ、という認識を持って生活をしていただければ有難いと思います。

この『昼の文化』の建設というところが『世界救世(メシヤ)教教義』の最後の『病貧争を根絶し、真善美の全き恒久平和の理想世界』そうしたものを建設していくのが私達の日常生活だ、ということです。先月も重々お願いさせていただきましたように、自分の生活の、特に衣食住の中で病気を生む、そういうものを生活の中に持ち込まない努力を積み重ねていただきたい。あるいは貧に繋がるような生活をしない。争い、争に繋がるような生活をしない、ということが『昼の文化』の建設ということです。その中でも『争』が一番難しい訳ですね。家庭生活の中でもですね。身近なものであるが故に、昨日も随分と「自分の夫の言動にすごく腹が立つ」とかいうような話が出ておりました。「自分の家内の言動に腹が立つ」という話も出ておりました。そうした時に、じゃあ、どうして争いを無くすのかということについては、先月は血糖値の話もしましたが、実はメシヤ様が『私というもの』という御論文の中に『私は朝起きるとまず家族の者の御機嫌はどうかという事に関心をもつので、』とお述べになっていらっしゃいます。

********************************************************************

【メシヤ講座 三重支部】

仏滅というのは、仏が滅びるという事ではなくて、元の御位に戻られるということ

楳木代表

『之は、非常に重大な意義があり、勿論(もちろん)神の深き御旨(おぼしめし)に由(よ)るのであって、人間の意図でない事は今更言うまでもない、何時(いつ)も吾等(われら)が唱える処の、霊界に於(お)ける夜昼転換の時期に愈(いよい)よ入ったからである、之も吾等が常に言う処の仏教の救いは夜の期間中であるから夜の消滅と共に観世音菩薩の御救いの転移進展となるので、一言にして言えば仏滅を意味するのである、従而(したがって)、観世音菩薩の御働きも救世主(メシヤ)のそれとなるのは勿論(もちろん)である、即(すなわ)ち化身仏であらせられた観世音菩薩は茲(ここ)に仮面を脱いで、御本体である神の御働きとなり給(たも)うのである。』

と。この、『化身仏であらせられた観世音菩薩は茲(ここ)に仮面を脱いで、御本体である神の御働きとなり給(たも)うのである。』の文章は、今年1月まで『文明の創造』を学んできたからこそ、この一文を理解することができる訳です。

化身仏とは一体何かという事を考えていくと、三千年前に、素戔嗚尊が朝鮮から押寄せてきて、そして、当時日本を徳によって治められていた伊都能売神皇様は、日本人の生命を慮(おもんばか)って、急遽、御位を天照天皇にお譲りになって、そしてインドへ下って行かれて、仏としてお救いを展開されたということです。

この化身仏になられた観音様が元の御位にお戻りになる、というのが、この『夜昼転換』の一番要になっております。その仏滅というのは、仏が滅びるという事ではなくて、元の御位に戻られるということなのです。ですから善言讃詞の中に「救世の神館霞みつつ」とかいう表現に『多宝仏塔』を変えてしまったという、メシヤ様の弟子でありながら、非常に浅知恵によって、「昼になったので『多宝仏塔』を消して「神殿玉楼」にしていこう」と、そういう風な判断をしてしまって、それを決行してしまったという事は非常に残念でならない訳です。如何に御教えを十分受け止めて御神業を進めてなかったかという事が明らかになるところであります。

しかも化身仏で在られた観音様を中心にして、仏教が花開いたことと、仏教美術が非常に花を開いて実って来ている訳ですので、その仏教美術の言わば粋と言われている『多宝仏塔』を高く評価しない限り、この一文に沿ってものを考えていくということには繋がっていかないですし、この『多宝仏塔』を考えていくと、建築界から見ていくと、あの建築方法、日本の建築方法の素晴らしさということが、また、あの形の中に工法として出ております。そうしたものをひとつひとつ吟味して深く見詰めていくということが、この一文から我々がさせて頂かなければいけないことである、という風に受け止めて頂ければ大変有難いと思います。

********************************************************************

【メシヤ講座 出雲支部】

教義拝読

日本観音教団教義

◇…大宇宙を創造され給ひし造物主たる主の大神は、此の地上に天国を顕現すべく太初から大経綸を行  はせ給ひつつあるのである、之が為神の代行者として人間が造られ、又万物は人間の為に造られたる   事を信ずると共に今日迄の歴史はその為の準備工作であり、其時代々々に必要なる人間を顕はし給ひ  夫々の使命を遂行させ御目的を達成され給ふのである。

◇…主神の御分霊たる聖観世音菩薩は仏界に下られ給ひし御名であって専ら救世済民の為三十三相に変  現化身せられ、或時は光明如来と現じ、又或時は応身彌勒と化し、実に応変自在自由無碍の御活動を   され給ふのである、茲に世界の大転換期に際し、神幽現三界の救済の為無限の力を発揮され給う事に   なったのである、其暁病貧争絶無の世界は樹立され、人類の理想たる真善美の完き光明世界は、茲に   実現するのである。

◇…本教顧問岡田自観先生には、観世音菩薩が人類救済の為の代行者として選ばれたる力徳者たる事を  信じ、吾等は其聖業に参加を許されたる光栄を感謝すると共に、全力を尽して神意に添ひ奉らん事を   期するのである。(光号外  昭和二十四年五月三十日)

 

五六七教教義

◇…無限絶対無始無終、宇宙の主宰神たる主の大神は、理想世界顕現の御目的を以て、各時代、各地域に聖物賢哲を出し、救世の経綸を行はせ給ふ事を信ず。

◇…主の大神とは、泰西に於てはヱホバ、ゴット、ジュウス、ロゴス等々、中国に於ては天帝又は無極、亜細亜に於ては梵天、大自在天、アラーの神又は天之御中主の神と称え奉る。

◇…主神の分霊たる観世音菩薩は、大光明如来又は応身彌勒の御名によって千変万化の御活動をなし給ひ、末法濁世を浄め三界万霊を救はせ給ふ事を信ず。

◇…観世音菩薩は最後に五六七の御力を揮はせ給ひ病貧争を根絶し、地上天国出現の聖業を完成し給ふ、其大偉業に参加を許されたる吾等は、無上の光栄と信ず。

◇…地上天国とは、人類待望の真善美を完全に具現せる世界にして、万民和楽の永遠なる平和世界たるを信ず。 (光号外  昭和二十四年五月三十日)

楳木代表

これが天国会と五六七会が夫々教義として、発表して取り組んでいた事であります。それを昭和二十五年二月四日に世界救世(メシヤ)教に纏めたので、『世界救世(メシヤ)教教義』としてメシヤ様が御創りになったという事です。

ですから、本来世界救世(きゅうせい)教が、分裂した事が『浄化』として捉えるならば、浄化を浄化たらしめた時には、この世界救世(メシヤ)教誕生の所まで遡って、この教義に基づいてメシヤ様は世界救世(メシヤ)教を開教されたのだという所に気付いてですね、そして、その方針に基づいて御神業を進めるという事でなければいけなかったのです。けれども、何処までも権力抗争だったので、その権力抗争の延長線上で今も未だ進んでいるという、まぁ悲しき現状である訳であります。そこまでトップが突き詰めて考えていなかった為に、この様な事が起きてしまったという事を、心に留めておいて頂ければ大変有り難いと思います。

 

非常に重大な意義

楳木代表

それでは次を確認させて頂きたいのですけども

『之は、非常に重大な意義があり、勿論神の深き御旨に由るのであって、人間の意図でない事は今更言うまでもない、何時も吾等が唱える処の、霊界に於ける夜昼転換の時期に愈よ入ったからである、之も吾等が常に言う処の仏教の救いは夜の期間中であるから夜の消滅と共に観世音菩薩の御救いの転移進展となるので、一言にして言えば仏滅を意味するのである、従而、観世音薩の御働きも救世主のそれとなるのは勿論である、即ち化身仏であらせられた観世音菩薩は茲に仮面を脱いで、御本体である神の御働きとなり給うのである。』

という事ですので、先ほど拝読をさせて頂いた両教団の教義の中で、主神様の御分霊として御出現された観音様は、最後は『弥勒』として救済するというのが、之までの教義の二つであります。

愈々ここで、今拝読させて頂いたように、『メシヤのそれとなるのは勿論である。』という事なので、メシヤ様は昭和二十五年二月四日にメシヤの御働きを愈々行使するという事で、この世界救世(メシヤ)教を開教したのだ、という事であります。それを又ここで重々心に留めて頂ければ有難いと思います。

 

化身仏

楳木代表

そうして、最後の所に『即ち化身仏であらせられた観世音菩薩は茲に仮面を脱いで、御本体である神の御働きとなり給うのである。』という事ですので、この化身仏に対する理解は、皆さん信仰が非常に古い方ですので、この化身仏と聞いた時には大体掌握できるのですけれども、新しく入信してきた方とか、新に繋がって来た方々には、この化身仏の意味がよく分からない所があったので、それでですね『文明の創造』をずーっと拝読をしながら確認を一月迄させて頂きました。

『文明の創造』を拝読すると、この化身仏の実体というのが良く分かりますので『文明の創造』を全て読み終わった段階で、もう一度『世界救世(メシヤ)教教義』とこの『世界救世(メシヤ)教の誕生に就て』という『開教の辞』を確認させて頂こうという、非常に長い計画の下に、勉強会を進めて来た訳であります。

愈々今日の所で完結する訳なのですけれども、化身仏というのは、思い出して頂ければですね、三千年前に朝鮮半島から素盞嗚尊が押し寄せて来てきました。当時日本を徳によって治められていた伊都能売神皇様の皇位を狙って、武力で以って押し寄せて来ました。伊都能売神皇様は、毅然とお断りになりましたけれども、お断りになると同時に、素盞嗚尊は日本人の生命を脅迫して来ましたので、伊都能売神皇様は日本人を犠牲にするという事は非常に忍びないので、天照天皇に皇位をお譲りになって、急遽インドの方へ降って行かれました。インドの方へ降って行って、お釈迦様が当時悉達太子と呼ばれていた皇太子の頃にお会いになって、日本の『徳によって治める政治の在り方』或は『人間生活の在り方』に就いてお話して、それが基になって仏教というものが出来上がって来ました。

そして、仏教が日本に入って来た訳なのですけれども、この時に伊都能売神皇様は観音様と崇め奉られるようになったので、それが化身仏のトップであります。その伊都能売神皇様に従った神々が、その下の方で支えられていた化身仏としてある訳であります。

『茲に仮面を脱いで』というのは、観音様の絵を見ると頭巾を被っていますね、この頭巾は身を隠してインドへ降って行ったという事を示す為に頭巾を被っている訳なのでありますけれども、この仮面を脱いでというのは、この頭巾を取り払ったという事です。隠れないというふうにして取り払って、愈々本体の神の御働きに戻ったというふうに、受け止めて頂きたいと思います。

平成28年3月各支部メシヤ講座より