日本の「道」について

受講者

この中で「日本の誇りは“道”に見出すことができる」ということでありますが、縄文時代には争い事は全然なかったんでしょうか?そこで随分商いができて、それで道ができたと・・・。

楳木代表

そうですね、日本で初めて戦争が行なわれたのは、素盞嗚尊が朝鮮半島からですね、瓊々杵尊を引き連れて大挙して山口県に上陸してきたところから戦いが始まっていますので、それまでは日本人は戦争をしていないのですよ。だから、戦争用具を持ってなかったので、素盞嗚尊の言うことを聞かざるを得なかったということです。それで、伊都能売神皇様は自分の皇位を譲って出て行かなければ、日本人が毎日何十人と殺されていくので、そういうことでは可哀相だということで、伊都能売神皇様は急遽インドの方へ降っていかれたということです。だから、この山陽道とか山陰道というものは、元々は商いで出来たのだけれども、素盞嗚尊が入り込んできて、およそ日本の半分くらいを押えて、それから東の方も押えようとしていた時に、素盞嗚尊の癖が出てきて、それで治世が乱れたので、そこで一挙に宮崎県の高千穂から出陣した、後の神武天皇になる方がこの山陽道をずうっと通って行って討伐していったということです。その時から戦いの道になってしまった訳なのです。

ただ神武天皇が悪いかというと、神武天皇は現代の主食の稲作を教えながら統制していったようなので、日本としては栗を食べていたのが米を食べるようになった、豊かな食生活に切り替わる時でもあるので、日本がずうっと発展していく上においては、そういうことも一つは必要だったのかなぁとも思いますけどね。(中略)

 

平成28年5月メシヤ講座岡山支部より