「『文明の創造』総篇 救い主と贖罪主」(文創  昭和二十七年)

「『文明の創造』総篇 救い主と贖罪主」(文創  昭和二十七年)

本文は『文明の創造』55ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 枚方支部】

まず冒頭の

『私は之迄悪に就(つい)ての根本理論として、悪が必要であった事、悪によって今日の如き文化の進歩発展を見た事をかいて来たが』

とあります。

前回までの「文明の創造」は、この根本理論をメシヤ様は説明して下さっていたと、悪が何故必要だったのかと、あるいは、悪によって今日の如き文化の進歩発展を見たんだという事をメシヤ様は我々に教えて下さったという事ですね。

それについて、さらに5行下の方に行きますと

『私はよく斯(こ)ういふ質問を受けたものである。“一体神や仏は愛と慈悲の権化であり乍(なが)ら悪人を作ってをいて罪を犯させ、それを罰するといふのは大いに矛盾してゐるではないか。それならいっそ最初から悪など造ってをかなければ、罰を当てる必要もないから、それこそ真の神の愛ではないか”といふのである。成程此(この)質問は尤(もっと)も千万(せんばん)で』

と、実はメシヤ様も同様の考えであったということです、真実、真理を知る前はね。

私が中学2年の時からメシヤ様の御教え拝読を始めて、やはり一番感銘を受けたところが、ここです。やっぱり純粋に・・、中学生というのは純粋で正義感が一杯ある。それから世の中の仕組みが分からない。世の中の裏の構造も知らない。純粋一辺倒で拝読してた時に、“神様が悪を作らなければ、本来悪人はいないんだから、みんな幸せでいいんじゃないかなぁ”と思っていた。若い時、純粋な気持ちとしてはあるものですよね。皆さんも、若い時はそういう気持ちではなかったかなと思うんですけどね。

しかしメシヤ様はさらに後で、

『つまり神様が何か訳があって悪を作られたのであるから、何(いず)れ神様はそれに就(つい)ての、根本的理由をお示しになるに違いないから、それ迄待つより仕方がない”と曰(い)ったものである。』

これが昭和元年までの、メシヤ様のお答えの仕方ですね。しかしその下の段落で

『処が愈々(いよいよ)其(その)時が来たので神は其(その)事を詳しく啓示されたので、私は喜びに堪(た)へないのである。』

この御啓示が昭和元年です。

昭和元年ある日、爽快な気分に満たされて、そして何か言葉が出てきそうになるのを、押えても押えても出てきそうになるので、任せて口を開いた所、“紙と筆を用意せよ”というのが最初の言葉であったという下りがありますよね。

御啓示の内容は、便せんでおおよそ400枚。しかしこれは当時の社会情勢からすると問題になるから、焼いてしまった、と。最初は土に埋めていたけど、それでも不安なので焼いてしまったという内容です。

これが主神様からの御啓示ですが、昭和元年までは、何故神様は悪を作ったのか、という質問に対しては、私も悪を作った訳ではないから答えようがない、というお答えの仕方です。しかしこの元年に御啓示をいただいてからは、悪は何故必要だったか、悪が何故生まれたのかを、少しずつご解説を始められたという事ですね。

だから昭和元年の分岐点を明確にここで持っておいて頂きたいと思います。

大本教ですら、(メシヤ様が入信されていたところの元年までの)大本教時代でも、この悪の発生理由を知らされてなかったということです。しかしこの御啓示によって知らされた、ということです。

そこで、文明の創造の前半の所を読んでいくと、では“何故悪がないと発展しないのか?”ということです。

それは縄文時代を見つめてみると少し解かりやすいと思いますね。縄文時代で一番有名で解りやすいのが、青森県の三内丸山遺跡ですね。三内丸山遺跡へ行くと、堆積している塚の一番下は6500年前から3500年前までで、これは、同じ所に、いわゆる生ゴミが捨てられた跡が残っている訳です。ということはそこに定住していたと。約3000年間も定住していたということが、あの遺跡を見るとそれが分かる訳ですね。

ところが、それを皆さん方に当てはめたら3000年間も同じ所に住んでますか?とんでもないよね。(皆さんの場合は、)成長して仕事に就いて、(家を出て)結婚して、それから最後までその人と一緒に住んだとしても途中で家を変わったりしていますね。

そして三内丸山遺跡を見つめていくと、まず中心になる所に祭祀場があります。神様をお祭りして、そして今年の一年の行事を、どういうふうな行事にしたらいいのか、ということをお祈りして、そしてこういうふうにしなさいと、指示がくる、そういう祭事があります。そして祭祀場の次の所に集会場があって、そこで、こういう御指示があったので今年一年間の動き方はこういう動き方で行きますので、という指示を伝える集会があります。してそのさらに離れた所に居住区が並んであります。

お墓は以前もご説明した通り、成人した人と、子供でお亡くなりになった人と、埋葬地を分けてあります。そういうことから考えて行くと、この縄文時代にはお亡くなりになった人を送る時に、そういう年齢に応じて送り方を変えていたということが分かります。

そうすると、世界救世(きゅうせい)教だった人達は祖霊台帳を持ってるでしょ。その祖霊台帳の後ろに何て書いてある?個人名、俗名の後に何か書いてあるでしょ。何て書いてある?男性だと○○毘古之神霊(びこのみたま)、女性は○○毘女之神霊(びめのみたま)、と書いてある。他にも何かあったでしょ。比古(ひこ)とか比女(ひめ)とか、あと、少女(いらつめ)とか、それから稚子(ちご)、その下に児(じ)と、こういうように分けて書いてある。

30歳以上でなくなった人を毘古(びこ)、毘女(びめ)と読んでいるんです。そして15歳から30歳の間に亡くなった人を比古(ひこ)、比女(ひめ)と。だから名前に彦とかをつけると、精神的にあまり成長しないというのは、そういうところにあるんです。15歳から30歳までに亡くなった人に彦とつける訳だから、現界でも彦というのをつけてたら、あまり成長できない。

だから私はもう一つの名前を孝彦という名前を持っているけど、この孝彦は、御教えに照らし合わせると、精神的成長がある所で止まってしまうので外したんですね。

これはまぁ・・、最初、病気になったんです。

あまりにも病気が続くので、最初の名前の和敏では総画で四十一画になり、名前が良すぎるので、この名前ではずっと病気し続けるということで、そこで、夜の時代の考え方のいわゆる祈祷師に見てもらった為に、“これではいけないから孝彦とつけなさい”と言われてつけたんですね。

その後、世界救世(きゅうせい)教にご縁をいただき少しずつ健康になって来たんだけれども、孝彦というのは病気をしないような名前なんだけれども、15歳から30歳で亡くなった人に「ひこ」とつける訳だから、言霊からゆくと、この範囲内から抜けることが出来ないと言う危険性を感じて、自分で孝彦を外して、もう1回和敏に戻して家族親戚に周知したのです。そして、メシヤ教を発足させるまでは、ずっと和敏で来たんだけれども、つくる時にメシヤ様から“この名前じゃダメだ”ということで、そして今の名前をつけられた訳です。そして今使っているんです。ちょっと余談ですけどね。

そして十五歳、七歳、0歳というように、神道的な区別した名前の付け方があります。だいたい縄文時代に積み上げて行った葬儀のあり方の中から、そういう分類の仕方が出来たのです。そして秩序だった生活がずっと3000年間続いた訳です。同じ所に居住して、同じ生活をしているということは、ほとんど進歩がなかった、と言ってもいいくらいですね。だから“悪がないと進歩がなかった“ということを示す為に三内丸山遺跡を神様は残して下さっている、と。

まぁ他にも出ているんだけれども、とりわけ昭和30年代にほとんど出たのを、潰してしまってる。家とか工場地として建てられなくなるから“遺跡は一切出ません”ということで工事の人が全部隠してしまっているので、一応遺跡として分かっていてキチンと残っているのが、縄文時代の遺跡としては、三内丸山遺跡が一番だと思います。それから弥生時代では佐賀県の吉野ケ里遺跡が分かりやすいです。まぁ(各時代)一つずつ残っているので、それを参考にしながら、その当時の人の生活とか、それからどういう精神状態であったかが、だいたい分かるのではないかなと思います。

三内丸山遺跡の塚で、だいたい3キロくらいの鯛の骨が捨てられていたり、それから鹿のハンバーグが出てきたりしているのでね、その当時は結構豪華な食事をしてたんだなぁと思いますね。ただ、お米はまだないので、栗を中心として、栗を栽培しながら栗を中心に、そういう海の物、山に生息している鹿を中心に、食事をしてたということがだいたい分かる訳ですね。ただ発展していないということが、分かるわけです。

 

悪による物質文化 と 弊害の迷信文化

楳木代表

そしてそのすぐ下の所に

『では何故今迄の宗教開祖の悉(ことごと)くが悪を非難したかといふと、曩(さき)にも詳しくかいた如く、或(ある)期間悪が必要であったから其(その)深い意味を主神は知らさなかったのである。』

ということですね。

『従って仮令(たとえ)正神と雖(いえど)も知り得る由はなかったので、正神は何処(どこ)迄も正義のみによって天国世界を作らんとする』

というようにお書きになっている。

これはどういう事を指すかというと、実はメシヤ様が「文明の創造」をお書きになった最大の理由がここにあるということなんです。他の宗教は悪の発生理由を説いてない、と。悪を攻撃し非難する、ということはやってきたけれども、悪が何故必要だったかということを説いてこなかった。

それは何故説けなかったかというと、今までの各宗開祖達は主神様の直接の啓示ではなかった。メシヤ様の御出現によって、メシヤ様がこの世に出てこられたので、主神様の御啓示が降ったということです。だからメシヤ様がこの世の中にお生まれになって下さったので、主神様がメシヤ様に啓示を下さった。この御啓示の中で、今までの宗教が説かなかったものが、この“(必要)悪の発生理由”だということです。

そしてこの悪があったからこそ、“文化が発展”してきたんだということを説明した唯一の方がメシヤ様だということを、この「文明の創造」では分かっておいていただきたいんです。

そして、もう一つメシヤ様が他の宗教の開祖と全く違うのは、その悪の発生理由を説いたことと、もう一つは“病気に対する判釈”を持っていたということです。

だからこの病気に対する判釈を持っていたという部分を、簡潔にまとめていただいているのが「文明の創造(二)」の上と下です。これらを拝読する時に、他の宗教の開祖とは全く違った一面がここにあるんだということです。だからこれをもう少し現代に当てはめて解説すると、皆さんにお渡しした「文明の創造(一)」は今拝読しているところですから、これは言わば“宗教改革”と言えると思うんですね。今までの宗教の教祖が説かなかったものなので、この「文明の創造(一)」の部分が最大に宗教改革の一番根幹にあたるところになってきます。それから「文明の創造(二)・上下」は“医学革命”の根幹にあたるところです。ですから「文明の創造」を拝読していった時に、この(一)で宗教改革を進めて行く、と。それから(二)・上下で医学改革を進めて行くんだというふうに、私達に、受け取る事が出来れば、大変ありがたいというふうに思います。今回こういうふうに拝読しながら、皆さんと勉強会をしながら、よりそういう事が強く思われるので、チェックして繰り返し繰り返し拝読していただきたいと思います。

 

弊害の「迷信文化を改革」

楳木代表

次2ページ目に来てですね、

『処が愈々(いよいよ)悪の期限が来たので、主神の直接的力の発揮となった事で、茲(ここ)に私といふ人間を選び、善と悪との根本義を開示されたのである。』

という事ですね。

ここに「主神の直接的力の発揮」と書いてあるんです。この「主神の直接的力の発揮」というところを、もう見えないくらいに、塗りつぶしておいていただきたい。チェックしてね。

 

悪の世=薬の夜 から「昼の革命」を!

 

楳木代表

○○○○先生が英訳して「文明の創造」をバチカンまで届けて下さっているけれども、そのバチカンに届けた中には、前半部分の禁断の木の実は削除されています。禁断の木の実は薬だということを削除しています。これでは“「文明の創造」が出た意味“がない。

 

支部長代理

それはやはり、夜の時代の根幹をなしたもの(ユダヤの乱れ)、あるいは(それを突きつめて行くと)夜の時代に、神や人が落ちて行った原因は“薬”ですから、その部分を説いていかないと、必要悪といっても、何が必要悪なのか。これはこの御教えで現代医学だと、はっきりおっしゃってますのでね。

 

楳木代表

そういうことです。だからここにイエスの愛をその後書いてますよね。

『つまり万人(ばんにん)の罪を一身に引受け、主神に謝罪をし、赦(ゆる)しを乞ふ役目である。早くいえば万人(ばんにん)の代理者であり、赦(ゆる)される側の神で、赦(ゆる)す方の神ではなかった。其(その)為罪の代償として十字架に懸(かか)ったのである。』

と。

 

で、ここに「十字架に懸ったのである」と簡単に書いておられるけれども、イエスが十字架に懸けられた時の情景というのを映画で撮ったりしてるでしょ。思い出してみて下さい。こんな大きな角材の十字架を背負って、そして群衆の中を、ずっと丘まで自分で持ち上げていかないといけないでしょ。流刑された後に、そうした十字架を最後の処刑の場まで行かないといけないわけです。もう衰弱しきってる中で、それを持ってあがるって、どんなに大変だったかなぁと、想像出来るんですけどね。そしてやれやれ持って行ったら、十字架を横にして、掌に釘を打ち込むわけです。普通だったらギャーでしょ。

 

受講者

はい。

 

楳木代表

ね。こんな鉄の棒を両手に打ち込むわけだから、普通だったら失神してしまう。次は足首です。足にも釘を打ち込むわけだからね。

そして今度は十字架を立てると、いくら痩せてても、体重によってビィビィビィと裂けていくわけだから。だから軽いから、かろうじて残ってるけど、だからこんな角度で下に下がってしまうわけなんだけど、それが何と、イエスはその痛みに耐えながら、天の父に向かって“ここにいる民衆を赦したまえ”というふうに祈るから、その祈りが偉大だから今もキリスト教がずっと出来あがってきてるわけですよね。

我々だったら失神してしまう。しかしキリストはなおかつ、私を刑に処した者たちをも赦し給えと、天の父にお祈りしている。天の父は主神様ですからね。

まさに“贖い主”というのは、そういうところからも本当にヒシヒシと分かる。だからこそイエスは偉大だということで、私達はその事を知るがゆえに想っていけるというわけです。しかもキリスト教の信者以上に、こういう御教えを読むからイエスの偉大さが分かるわけです。

そうして”お詫びの根幹”は何かというと、いわゆる“禁断の木の実”に手を出したことを詫びているわけだから、その詫びの内容はキリスト教の信者さんは知らない。どんなにまじめに信仰していても、何故イエスが十字架に懸って天の父に詫びたのか、詫びの内容はキリスト教の信者さんは知らない。知らなくても世界中で信仰されてるが、そのことをメシヤ様は説いて下さっているわけだから、我々はキリスト教の信者さん以上に、イエスが十字架に懸った理由を知ってる。

知ったということは、使命を与えられているということですから、そういう事をもう一度しっかり受け止めておいていただきたいと思います。

そこで“詫び”たのは、一つは“禁断の木の実に手を出した事”と、もう一つは三千年前に“素盞嗚尊が武力を持って日本に押し寄せ”て来て、そして伊都能売神皇の“皇位を譲れ”と迫って、そして絶対平和主義の伊都能売神皇は、密かに日本を脱出してインドへお下りになって、布咀落迦山に立って、そしていろんな人に教えを説いてあげるという生活になります。それで日本は天照天皇に皇位を譲られたんだけれども、すぐに天皇は殺されてしまいます。ある理由で崩御されたというのは“殺された”という事になります。そして皇位は天照皇后に移ります。しかしこの皇后に対して、兄弟といえども素盞嗚尊は、どんどんどんどん押し込めて行って岩戸の中に押し込めてしまった為に、この世の中、まず日本が素盞嗚尊の性癖によって“乱れに乱されてしまった”わけなんです。

だから縄文時代の三内丸山遺跡にあるような秩序だった生活が一挙に乱れてしまった。

この日本というのは、メシヤ様は箱根の事について触れられた中に、箱根は日本の中心であると共に世界の中心だとおっしゃっている通りに、神山がいわゆる聖域なわけですよ。そうしてもう一方、富士山は日本の大黒柱のようなものである、地軸に立っている大黒柱という御表現をされているんです。

至る所に日本というのは、世界の型であると書かれてあるという風に、いわゆる日本は聖域なわけなんです。日本が乱れると世界は乱れて行くわけだからね。それが素盞嗚尊の性癖によって乱れに乱されてしまった。この詫びがもう一つあるんです。

文化を発展させるという理由があったにしても、やはり乱してしまったということをイエス(素盞嗚尊)がお詫びしたということが、この二つの理由があるわけです。

御教えをずっと拝読していくと、そういうことがだいたい類推できるので、その事を自分達はもう一回受け止めて、我々はもの凄い偉大な御教えをいただいている訳なので、“大変な責任を負わされているんだという自覚”をですね、こういう御教えを拝読する毎に、より一層持っていただければありがたいと思います。

 

支部長代理

禁断の木の実を食べたのは、やはりあれは伊弉冉(いざなみ)系のものということで、その系統というのは素盞嗚尊ということですね。あと、磔(はりつけ)にあったのは(表向きの理由は)、当時のパリサイ人ですが、(彼らが見破り)キリストではない、と。偽キリストであって、時の権力者に知れちゃって、処刑しろということになったと御教えにあります。しかしそれよりも、本当は朝鮮の時の罪が重いんだと、それの元は何かというと、政治的なこともありますけれども、薬・・、漢方というものを使ってますます人心をおかしくしていったという、そういうふうに思われるんですよね。

 

伊都能売神皇が仏教を教え作らせる

楳木代表

だから、次はお釈迦様のことがずっと出てきますね。

そうすると伊都能売神皇がインドへ下って行かれて、そして結跏趺坐して教えを説いている時に、お釈迦様が訪ねて来て学び、そしてお釈迦様は出家した形で世俗を捨てて、仏教を説き始めたんだけれども、72歳にして見真実を得たと。見真実を得たからこそ、今まで説いた事の多少なりも間違いがあったのでということで、お経を書き変えている訳ですね。

 

日蓮の大役と功罪

楳木代表

それが法滅尽経と、彌勒出現成就経と、法華経二十八品(ぼん)であったと。

このことを日本人で初めて知った人が日蓮上人ということになっているわけですね。日蓮上人だけが、日本人でいわゆる中国語でお釈迦様のお経を全部読んだ唯一の人だというふうになってます。

だから読んでみると最後に書かれた『法華経』が大事だと。そして今までの仏教はお釈迦様の説いた教えの一部分しか取り上げてないということを見抜いて、そして中国で意を決して、日本に帰って来て、そして伊勢神宮へ行ったんです。

日本の歴史と、それから伊都能売神皇がインドへ下って行ってお釈迦様に教えを説いたということを知ったので、もう1回この仏教界を改革しますという事を、伊勢神宮の天照皇后にお誓いを立てたということです。

伊勢神宮にお参りに行ったということは、その素盞嗚尊が押し寄せて来て日本の皇位がどのようになったか、ということを全部知ったという事です。知ったから(日の本でもあった)伊勢神宮に行ったという事です。知らなかったら伊勢神宮へ行く必要がないわけだからね。

知ったから伊勢神宮に行って決意を述べると共に、今日までの理不尽な行いに対して、「分かりました。やらせていただきます」といって千葉に帰って呱々の声をあげたわけですね。

だからそのことをやったから、メシヤ様が夜昼転換の黎明期は日蓮の出現によって、黎明期を迎えたということです。

 

 

【平成23年8月メシヤ講座より】