左進右退のリズムを生活に取り入れる

参加者:私は信仰以前のことが出来ないので、お話しするようなことはないのですけれど、ここへ来たら光をいただけるので、すごくうれしいんです。ですから、兎に角来させていただきたいという思いがあるんです。しかし、本当に信仰以前のことが出来ないので、思いはあるんですが、中々行動に表せないんです。


参加者:この人は家の掃除が出来ないんですよ。(笑い)


参加者:そうなんです。自分でも感心するくらい・・・。(爆笑)他の方へ出ていけても、何かしようという気力が・・・。それでもこういうところへは凄く来たいという思いが強くなって、何も分からなくてもいきたいという強い思いが湧くんですけど。


代表:これはですね、小学校時代は体育は得意でしたか?


参加者:運動は好きでした。


代表:そうするとですね、運動が好きな人達は良く走っていますので、トラックを走りますよね。あれはどっちの方向に走りますか?・・・走る時に右回りで走るか左回りで走るかということですが・・・左回りで走るでしょ。右回りで走ってみてください。中々走れないですから。

左回りで走った方が中へ中へ走っていけるんです。スピードが上がっていくんです・・・これを左進右退と言うんです。メシヤ様がお説きになっている左進右退というのは、一つにはこういうこともあるんです。左回りにすると中央へ集中していくんですね。右回りにすると拡散していくんです。

だからお米を研ぐ時にも右回りで研ぐ時には、“悪いものが出て行くように”という想念で研ぐんですよ、ね。で、左回りで回す時には、“この米を食べる人が健康を維持できますように”、子供だったら“無事に成長しますように”という思いで左回りに研ぐわけです。これをしていくのが実は左進右退ということを知っている人の米の研ぎ方なんですよ。


参加者:出来てません。(笑い)


代表:おおよそね、こういう話を聞くまで皆出来てないんですよ。だから、家庭の主婦になる時には、まず御教えからいくと左進右退をまず持って嫁いでいかないといけないし、自分がご飯を食べるにしても家族に食べさすにしても、この研ぎ方が出来ないと、米本来のご飯が出来上がらないわけですね、まずね。いい水とか、それからお米は自然農法とかいうのはあるんだけど、人間が努力する部分では研ぎ方があるわけです。

それから次はこういうものを洗いますよね。洗ったら昔の人はよくハンガーに掛けたものは着るなと言ったでしょ。一回きちんとたたんで、それから着なさいと。あれは何故、何故ですか、一番年配者の方。


参加者:死んだ時なんかに着流しとか言うのは・・・。


代表:着流しとかね、縁起が悪いからということを言いますね。しかし、実はですね、たたむ時が大事なんです。洗濯物を取り入れて、しわを伸ばしながらたたむ時に、”これを着る人が事故に遭わないように”とか、”健康を維持することが出来るように”とか、そうやって祈りながらたたむというのが洗濯物のたたみ方の気持ちとしてはそうなんです。

そうすることによって家族の祈り合いがあるわけでしょ。奥さんの場合は、”主人が職場で事故に遭わないように”とか、それから”変な女がくっ付かないように”とか(笑い)・・・そういうのを全部含めてお祈りしながらね、たたんでいくわけですね。

そうすると、しわがきちんと伸びて折り目の付いたものを着る時に、その家族の祈りを感じながら着るから、今日も家族の為にがんばろうということで、主人や夫が外へ出て行くことが出来るわけですね。

で、実は世界救世(きゅうせい)教は、『左進右退』とか『霊主体従の法則』ということを、メシヤ様から教えられているにもかかわらず、信仰指導の中にこういうものを織り込んで話をしてないために、信者さん方が『霊主体従の法則』に沿った生活を中々出来ない状態にしてしまってきたところがあります。ですから、そうしたことを一つ一つ見つめ直していただきたいと思いますね。

で、玄関で今日は大勢の方が見えて、私が最後に来る時に、通りやすいように非常に靴をきれいに並べて、気持ちよく私は玄関を入って来させていただきましたが、しかし、それぞれのご家庭の玄関はどうかという事です。靴は・・・。

靴が乱雑か、整っているかということはともかくとして、靴はきちんと揃えましょうということで、家族に言っていきますよね。で、自分も揃えるという時に、この揃える時に、靴を揃える時には、靴を履いて一番危険なことは交通事故が一番危険なので、”この靴を履いた人が交通事故に遭わないように”、あるいは”途中で転んだりしないように”という思いで揃えていくということが靴の並べ方でね。これが『霊主体従の法則』に沿った靴の並べ方ということになるんですね。(笑い)

これが我々の生活の中で一番底辺にないとですね、信仰してメシヤ様と御縁をいただいている、信仰しているということには繋がっていきません。


代表:それからメシヤ様が、初めて小間物屋をお開きになった時に、メシヤ様は一番最初に店に出て、掃除からはじめられました。ですから、メシヤ様の信者という人は、掃除からはじめないといけないわけです。

で、今度掃除をする時に最初に話した運動というのが大事なわけです。運動を何故自分達はずうっと義務教育の小学校から中学まで9年間、何故義務教育の中に体育が必ず入っているかというと、この
体育は体の動かし方の練習をしているわけです、人間として生きていく上での。

そうするとトラック競技というのは、左回りにすると円から飛び出さないように、集中して回れるという事を身に付けていくためにやっているわけですよね。で、学校ではそんな話はしないですよ、ですからメシヤ様の教えに基づいて、やっていることの意義付けを見出していくのが、母親の役目ということになってきます。こういう意義があるんだよとね。

そうすると掃除をする時にもですね、例えばハタキを掛けていく時に、こうやって(左向きに)ハタキを掛けていくのとこうやって(右向きに)ハタキを掛けていくのとでは、どっちが早いと思いますか?・・・実はこう(左向き)なんです。トラック競技で自分達が練習しているからこっちから掛けていった方が早く動くんです。こうやって掛けるから遅いんです。反対に廻るから、ね。自分達、小学校の時から、幼稚園の時からずうっとやってきたことを、自分の体に染み付いているので、それを生かして動いていかないと面倒くさ
くなるわけです。苦手になってくるわけです。

我々は、義務教育の中で何を学んでいるかというと、体育ではそういう事を学んでいるわけですね。ですから少しからだの動かし方をふり返ってみると、ずうっと小さい時から築いてきたからだの動かし方が出来ている。それを応用してやっているかということが一番大事なことなんですね。是非こう(左向きに)廻ってハタキを掛けてみて下さいね。

それから雑巾掛けする時に、昔の人達は何と言って・・・雑巾掛けする時何と言って教えられましたか?親から教えられた時・・・。


参加者:ちょっとわかりませんね。


代表:例えばね、あんまりきちんと躾(しつけ)を受けてない人はね、こうやって(少しだけ持って)拭く人がいるでしょ。おばあちゃん達はその時何て言ったか・・・「そんな拭き方してたら敷居がくすぐったくてしょうがないよ」とね。だから「力を入れてごしごし拭きなさい」と、「そうすると敷居が気持ちいいと言ってくれる」と言って躾(しつけ)たんです。

そうしてね、ごしごし拭くようになってくると、掃除が非常に気持ちよくなってくる。こうやって拭くのは嫌だからこうやって拭いているんでね。面倒臭いと思ってね。(笑い)

これがね、敷居が気持ちよくなるんだと思ってやると拭けるようになるわけですね。こういう御神前というのは、いつも○○さんが掃除しているのできれいなんですけど、きれいな御神前でも・・・
朝、きれいでも必ず掃除機を掛けると、そこの部屋はもの凄く佇(たたず)まいがよくなってきます。これは、御自身の生活の中でも体験すると思いますけど。塵がなくても、朝必ず掃除機を掛けると、その部屋は非常にいい環境になってきますよね。

こういうのは昔は箒(ほうき)だったので、掃き清めるというふうに昔の人は言ってましたね。ですから、掃除というのは先にそういうふうなことを考えていかないと片づけが苦手とか、そういうことが前に出てくると、どうしても生活の中でですね、、やりきれないところがあるので、一つ参考にしていただいて・・・。


参加者:ありがとうございました。そういう思いは全然、たまには
それは思いますけど、いつもそういう思いの心掛けが足りませんで
した。まるっきり。


代表:是非これから心掛けてね、やっていただきたいですね。で、メシヤ様が人にさせていたんではなくて、御浄化に入られるまで、おおよそ掃除と片づけというのは自分自身が、御自身が課題にされておられました。だから、夜こういう原稿や御揮毫や口述筆記が終った時に、火鉢の火の始末は全部御自身でやられてますよね。奉仕者に「お前やっとけ」なんてことは一切されませんでしたね。

それぞれの役割の人が、その役割だけしておけば、メシヤ様は『それでいい』というふうにおっしゃって、自分のことはおおよそ全部御自分でされておられました。だから、物を取ってきてもらう時に、『あの部屋の箪笥の右の引き出しの上から何番目の左の手前のところに何があるから、持ってきてくれ』という指示を出していました。

ということは、整理整頓が行き届いているということです。ですからメシヤ様の信者たるものは、まずはそういうところから日々取り組んでいただきたいと思います。しかし、活動をやりすぎるとね、家の事をほっといて活動ばっかりにかり出されて、家の事を疎かにしている教団が多いですね。

あれはどこだったかな・・・四国の愛媛県だったかな、愛媛県のですね、ある造船所の専務の奥さんが布教所長をしていたんですけれど、その人は凄いなぁと思ったのは、主人が職場から帰ってくる頃になると布教所から走って帰って、そして旦那さんを迎えて食事を食べさして風呂に入ってそして寝付くまで家に居て、寝息が聞こえ始めたらまた布教所へ行って、そして夜の面談とか片づけをして帰ると。

そして、朝は、主人より先に起きて家の事をして主人を送り出してからまた布教所へ出て行って、布教所長としてですね・・・だからそこは発展してましたね。それだけ家族に尽くしている人が布教所の責任者をやっていましたからね。我々にとっては大いに学びになる先輩の方だったですけどね。まあ、話は長くなりましたけど、参考にしていただければと思いますね。

【平成24年9月メシヤ講座 岡山支部より】