御教え集23号 ③はねのけられない人を作るのが救世教の信仰

霊界ではいよいよ左進右退的活動が始まるのです。そうするとそれはどういう結果になるかというと、火の霊気はつまり火素ですから、浄化作用が強くなるわけです。そうするとこの左進右退の渦巻きがいっさいのものに行って、ある程度浄化されたきれいなものは中にはいれますが、汚いものは外にはねられてしまうのです。大浄化作用です。ですから残ったものは善で、はねのけられたものは悪ですから、自然に善悪の立別けがついてしまうわけです。それでこの渦巻きを自然に通って、はねのけられない人を作るのが救世教の信仰です。あなた方ははねのけられないでしょうが、しかしあんまり慢心したり取り違いをしたりすると危ないですから、そこをうまくやってもらえばよいのです。それで中にはスーッと通る人もあるし、通っても閊えたりして、かなり苦しむ人もあります。それでそれが一番現れるのは病気です。これはあなた方が始終浄霊していて、だんだん浄化が強くなって、強くなるとどっちかに片づくのが早くなるのです。助かる死ぬということがはっきりするのです。これは日のたつに従って、そういうようになってきたということで充分分かるわけです。ですからこれからは非常におもしろくなるし、恐ろしくもなるし、間違っている間違ってないの結果が早く分かるわけです。けれども、私の話をよく聞いて御神書を読んでいれば、そう難しいことはありません。それでいままでの小乗宗教と違って窮屈なやかましいことはないのですから、本当の意味さえ分かれば楽々と峠は越せるわけです。一番肝腎なことは、小乗的に物事を決めないことです。というのは、一番分かりやすいのは、人間の考えでは分らないと思えばよいのです。ところが小乗的考えの人は、自分で理屈をつけてそれが本当だと思い込んでしまうのです。だから一生懸命にやりながらかえって間違ってしまうのです。これは大本教のお筆先にうまいことを書いてあります。「人民が良いと思ってした事は、神の眼から見れば間違っている事が沢山あるぞよ」というのがあります。だから良いと思い善と思っていることが、実は神様のお邪魔になることがあります。それは自分の思うことが本当だと思うからです。そう思うということは慢心なのです。

 

【御講話篇10 P294】