御講話 ⑨観音会の人が一番最初に掃除される

審判とは、どういう意味かというと、神様の御光りがだんだん強くなる。

つまり、東方の光がだんだん強くなって出る。それは、ちょうど太陽が黎明からだんだん天の中心へ上って行く形で、天心へ上って行くほど太陽の光が強くなる。一遍に昇ってはたいへんですが、神様の大慈悲によって、だんだん昇っている。そのなによりの実例としては、観音様を祭るとおデキができる。おデキが出るというのは、汚いものが光に照らされるために浮いて出る。そして、排除されるために皮膚へ出るのです。それでいまはごく緩慢に穏やかにされているのですが、だんだん日が経ち、光が出ると、汚いものはいよいよ出てくることになる。そうなると汚れが多いと耐えられぬ。それに堪えられるのは、よほど汚れの少ない人でないといけない。倒れてしまう。

それでまず、それが一番最初始められるのが観音会の人だけで、そのために観音会の人だけは軽くすまされるわけで、いまから掃除をされる。ここで掃除をされなければ堪えきれず倒れるのです。

このことを考えただけでも一般人は光が強くなったときはたいへんだと思う。今度は本当の真善美の光明世界ができるんですから、立派な家を建てるには、どうしてもその辺を浄めて、雑草など刈りとらなければならぬ。それがまず土台であります。そういうことはきっと行われるわけで、そう考えると今後は、早く観音会へ入り、少しでも浄めておかなければならぬ。少しでも浄められてた方は安全ですが、そうでない方は、生命の安全は期せられぬ。ですから、神様は一人でも多く助けられるんで、そのために観音会は発展となるんであります。東方の光、すなわち太陽は一つしかない。太陽の光は観音会が照らすだけで、これ一つなんですから、観音会へ入らなければ陽に照らされぬから、掃除ができないことになっている。これは決して手前味噌ではない。そうなっているんであります。これが最後の審判であります。

 

【御講話篇1 P157】