御教え集23号 ⑤仲違いをして結果が良いときもある

以前ある教会で、そこの信者で有力な人と会長とが仲違いをして離れてしまったのです。そうするとその離れた人、いわゆる弟子の人は、自分が会長と仲が悪くなって離れたということは神様にたいへん申し訳ないような気がするが、そう考えてよいのでしょうかと相談に来たので、結構ではないか、あなたが喧嘩したために一つの教会が二つに増えたではないか、もし仲がよかったら、いつまでも一つの教会ではないかと言ったのです。その別れた人は非常な発展をして立派な教会になりました。そうして元の会長の人はボヤボヤになってしまって、行方が分かりません。そういうこともあるのですから、あえて、しっくりゆくことがよいときもあるし、そういう仲違いをして結果がよいときもあるのです。そうなると人間の判断で決めることはできません。神様のほうでは、その教会を増やそうとする場合にわざとそういうような芝居をすることがよくあります。とにかく実に深いもので、とても分かるものではありません。

人間的の判断するのが一番危ないのです。また、正直でなければいけないと、それは結構です。しかしある場合には嘘をつかなければならないこともあります。というのは正直のために結果が悪いことと、嘘をついたために結果が良いことと両方ありますから、要するに結果なのです。結果ということは大局から見てです。そこですが、大乗信仰と小乗信仰の違うところです。

大乗信仰というのは結果がよければよいので、小乗信仰は結果を見ないで、ただ正の判断のみでゆくのです。だからそういう考え方は一種の主観です。千変万化、融通無碍ということはそういうことなのです。決めてはいけないし、型をつくってはいけないのです。

 

【御講話篇9 P176】