御教え集25号 ①洪水でどんなに流されてもきっと助かる

話はいろいろになりますが、つい二、三日前の京都、奈良の水害です。瞬く間に百何十人が死亡、二百何人が行方不明、両方で四〇〇人ぐらいになりますが、行方不明というのはほとんど死んだので、死骸が見つからないから行方不明というわけですが、そこでこんなに水害があることはいままでに例がありません。それもこれも、つまり浄化が強くなったということは、「神様のほうは、この六月一五日以降だんだん左進右退的リズムが強く大きくなる」ということを私は言いましたが、やはりその現われです。いまにこれがだんだん大きくなりますから、どんなことが始まるか分からないというわけです。

昨夜私の写真がだいぶ剥げたものがあったので、どういうようにしたらよいだろうというお伺いが来たので、見たところだいぶ破損しているから、大事にしまって記念としてとっておきなさいと言ったのですが、聞くところでは、それは和歌山の水害のときに、それを抱いて相当時間水に流されて、命が助かったのです。それは神様のほうで、私の写真を沈めてしまうといけないから、それはどうしても助かるに決まってます。前にもある婆さんで、どこかの連絡船に乗るときに落ちて、そこは相当の船が浮かんでいるのですから、かなり深い所ですが、それが落ちた所にまた浮かんだので引き上げたというのですが、落ちた所に浮き上がるということは潮流の関係でないそうです。そのとき船の底にでも行っていたらおしまいです。それで調べてみると、そのときはまだ御守りをやらないときで、麹町のころと思いますが、懐に「おひねり」を入れていたのですが、他はすっかりぬれていたのですが「おひねり」だけはぬれてないので、不思議だということになってました。だから洪水でどんなに水に流されても御守りさえあればよいのです。そうすればきっと助かります。

 

【御講話篇11 P43】