三、過現未の透観とは

三、過現未の透観 

仏教に於てはよく過去現在未来を云々するが、どうも寔に不徹底である。昔から三世通観などゝ謂うけれども、過去と未来とに向って明確に実相を説示したものはないのである。過去と雖も唯単に漠然たる仮定説的で、現代人を満足せしむる価値は無いと云っても可い。真に三界の深奥を明かにし得るものは無いのである。そうして如何なる宗教と雖も、善悪の根本すら徹底的に説破したものは、絶対に無いのに見ても明らかである。それは何故であるかと言えば、既存宗教の殆んどは、其開祖が第二流以下の神仏である関係上、主神の最奥の経綸が解る筈が無いのであるから、止むを得なかったと云う可きである。

未来に到っては勿論具体的に徹底説示したものは無かった。唯漫然と簡単に予言はされて居る。それが仏教の弥勒の世、基督教の天国来、天理教の甘露台の世その他である。要するにそれだけであって、それ以上の説明はなし得なかった事は致し方なかったであろう。