祭典「式次第」を考える

参加者

明主様時代の御浄霊っていうのは・・・


代表先生

・・・メシヤ様が御面会の前に出て来られて、御浄霊されてから式が始まったんじゃないですかね。

参加者

御教えをみてますと、式が終わって、それから御浄霊っていう・・・


代表先生

それは集団浄霊をはじめた頃じゃないですかね。浄化者が多いからということで始まったんじゃないかと・・。


参考 「式次第」



 大日本観音会 発会式  昭和10年1月1日

 (前略)昭和九年十二月三十一日となりました。「午後十二時を打つと御祭を始めるから」との御事故、早速御祭典の仕度をさせて頂く。この日大雨しきりに降る。用意万端全く整いて最早時間の来るのを待つばかりとなり、実に愉快で、心は躍る参拝者の顔も皆揃い祭官は仕度整う。
 昭和十年一月一日午前〇時今迄沛然として降りしきりし雨ピタリと止みて実に心地よし。偉大なる千手観世音菩薩の御尊像は勇気凛凛たる桃太郎の鬼力島征伐の御姿、献饌、祝詞奏上に続いて玉串奉奠明主様御先達にて神言祝詞、善言讃詞、御新作の御神歌も例によりて井上氏の名調子に和す信者、この間八雲琴の奏せられいとも壮厳に終って撤饌、御直会となりました。(後略)



『地上天国』4号 昭和24525日発行  
 春季大祭 日本五六七教会の記 熱海市旭町 山本昭実

 午後二時三十分厳そかな善言讃詞の奉唱によって式は始められた。荘厳な響きである。それは耳に響く音でなくして私達の心に響く声である。かかる瞬間に世の迫害も、苦悩も総ゆる障害も忘れて私共は合掌しはじめた。懐疑もなければ恐怖もない。あらゆる虚飾から放たれた合掌の姿は、また感謝の姿そのものである。この清浄しきった雰囲気が醸し出すいぶきは限りなき発展に挑む炎は焔々(えんえん)として生涯の伴侶となろう。
 次いで御讃歌の奉唱には私達は声の限りを振わして、その感動に酔わされた「弥勒下生」は既に御讃歌の中にまざまざと現実に生きている。闇の彼方の空には、すでに黎明の新しい光が昇り始めた。そして猩紅の一点はたちまちあの荘厳な朝やけに変るであろう。

 次で管長の御言葉に私は一種異様な感にうたれた。と言うのは管長の一つの動作にも私にはそれが全く別個の個体に作り変られた神秘としか思えなかった。管長自身も「私はまだ生れた許りである」と言われた事が、何か深い含蓄に思えた。

 式は整然と秩序ある中に溢るるばかりの感動に燃えて進められて行く、なかんずく大先生の特に五六七教のために寄せられた「救主降臨」の御歌は、熱きもののこみあげてただ胸の塞がる思いであった。恐らくは式場に参列せし数多くの人々も清浄な涙で頬を濡らしたことであろう。

  「世の人よ 今我が振ふ力より 上の力はなしと知れかし」

 場内はしわぶき一つせず井上先生のあのろうろうたる朗詠が力強く響応するかのようである。

 私はかつてこれ程の沸きたつ歓びにみちたことがあったであろうか。そしてこれ程の深い感銘と生甲斐を経験したことがあったであろうか。私にはこの劇的な発会式の一隅にあったことさえ幸福感が満ち溢れ、私はただ大先生の御慈悲にひたすら縋るのみの思いで一ぱいであった。最早や私共は絶対の観念に生きなければならない。曖昧は許さるべきではない、利己的なものは総べてかなぐり拾てるべきだ、もしも真にこの幸福を味わえる人があったなら。

 また井上先生は壇上より要旨左の如く語られた。

 『大先生の御言葉としての御歌を拝誦するが、大先生にはいよよ御健勝に渉らせられ、活機臨々として人類救済の大本願に夙夜(しゅくや)競々、寸暇なき御日常を送られている。私は本日の祝祭のため、何か大先生の御言葉を頂きたくお願いしたところ、余りにも山積の御要務を拝してはまことに心苦しく断念してしまった。しかるに前夜二時近くであった「祝日の挨拶に代えて歌を与ろう」と仰せられ、私はその有難い思召に驚喜感激した。直ちに淡々と誦せらるる力強い御歌を筆記したが、まことに水の渠(みぞ)に流るる如く十八首の御歌を僅々二十数分でお詠みになられた。しかもそれは何れも名歌と讃えらるべきものである「アヽ超人の業なるかな」と私はただただ賛嘆鳴然とした。如何なる歌聖といえども到底なし得る業でない、神智如泉とぱ正にこの事である。
 かくの如く特に五六七教のために御歌を下された事は全く異例の事であって、これこそ管長以下諸士の一身一家を忘れて聖業に尽すいせる赤誠の成果を深く斟酌せられ、今後の活躍を大いに期せられる御意によるものと拝察せられるるのである。
 信徒諸士はこの御歌を心底深く銘記して造次(ぞうじ)にも(てんぱい)にも口誦奮起し、人類愛に燃え立ち、一層の精進致されん事を期するものである。
 大先生はまず人類がことごとく幸福となるべき世のほの近き喜びを歌われ今後予想さるべきその建設を妨害する執拗飽くなき邪神の蠢動暗躍にめげず、大道直行に誤りなからん事を戒められおり、偉大なる御力を現実に見せらるると共に、万有漏るる所なく救済され給うのである。
 なお大先生には今日まで御神格を深く秘められ自ら観音の御取次者として、応現せられていたのであるが、このお歌により初めてその化相の仮面をぬがれ、いよいよ何千年来準備せられた大経綸に着手せられ地上天国建設という空前の大業を成し遂げんとせらるるのである。
 「ミカエル一度起てば天地震憾す」とか、今後の世界には予想もつかぬ大きい出来事も数々起ろうし、絶大なる威神力も発揮される場面も展開されるであろう事も想像に難くはない。そして待望のメシヤとしてハレルヤの歓呼の波に迎えらるる日も遠からざる将来にありと信ずる吾等である。
 吾等はすべからく金剛不壊の信に生き光栄の一大建設に邁進するのみである。』

 式は閉会の辞をもって終った。だが私はこの感謝と感銘を終らすことは出来ない。それは私の心の推進力として、あるいは懐かしい記念として生ある限り消えることはないであろう。今や教名も管長もそして本部も新しい門出に立っている。吾々の宗教活動は一段と広い視野に到達し、より発展的な段階に突入した。新しい魂を刻んだ「五六七丸」に高々と帆をはらませて漕ぎ出したのである。みよ遥か水天一色あたかも瑠璃の如き彼方千古の夢と希望が旭日に輝いているではないか、誰れもが夢としか思わなかった。否軽蔑さえした理想境が現われんとするのである。しかしながら前途には幾多の難関が横たわっている。荒れ狂う怒濤と氷山、黒潮の凄じい逆巻きもいつ襲って来るか知れない。大先生の御歌にも「みろくの世見え始めるとも心せよ、曲は隙なく狙ひつをり」とある。
 今後吾々の活動が世間の焦点となり、あらゆる角度から検討され、批判され、又は攻撃の手が向けられるであろうが、吾々は飽くまで大先生の御意志を尊重し、一日も早く地上天国建設の達成をひたすら乞い願い奉る次第である。



『地上天国』17号 昭和251015日発行 
 世界救世教秋季大祭に参拝して 「栄光」池松記者

秋季大祭次第

一、御 報 告  祭員長
一、献   饌  神饌長ヨリ神饌元迄五名
一、祝詞後取
一、奏上祝詞
一、祝詞後取
一 玉串案後取
一、玉串奉奠   管長ヨリ信徒総代迄五名
一、天津祝詞及び善言讃詞奏上
         御先達管長ヨリ信徒迄総員
一、御讃歌奉唱  御先達管長
一、祭員退座
一、撤   饌  祭員一同ニテ再出座
  以  上

 御祭典終了後
 明主様 御出座 坐ス



 『地上天国』23号 昭和26425日発行 
  春の大御祭 井上茂登吉 (於・新設の熱海仮本部)

 祭典開始毎日十時、二階大広間からバルコニーまで立錐の余地もない。
 天津祝詞、善言讃詞に次いで、春季大祭の御讃歌の式次は、いささかの遅滞なくなだらかに進行する。誠心に迸る信徒等の唱和の声々は、天地も動(ゆる)がむばかりである。この御讃歌によって、大神の御経綸すでに成り、天国の礎は、固く築かれ、世界を挙げて大御業を讃えむ時近まれるを、祝い奉る大御祭ならむを知って御勲たたうる感慨一入であった。

 十一時、明主様御光臨、憧れ待った世紀の祭典にお迎えする感激に平伏の頭を暫し上げがてである。
 御祝辞終って、代読された御言葉により、この大祭の意義と瑞雲天国完成の時二年の間(かん)に迫れると、すでに成りし大経綸は、繚蘭として百花開くごとく、現界に移写されんとするに当り、いかに驚くべき神業の表われにも動ぜざる大信念の用意と身魂磨きの緊要を御諭し下され、また時局の危機の適格なる動向を示され、破壊の外なる平和の使徒たる吾らの幸を指摘された。
 次に「悪に勝つ」の御原稿により、一切の邪悪不正を制圧する正善力の強化と、勝利と栄光を体現するは本教の特質で人類の不幸を滅する根本であり、地上天国出現の一要諦なるを説かれた。
 またあるいは、恐るべき禁断の果実たる加害物を救世主のごとく信頼する人類の悲劇を、大悲大愛の御心に救わむ烈々たる人類愛を、あえて制えねばならぬ明主様最大の御苦しみを、あるいは、病貧争絶滅以外、現代人に最も欠除せる美への関心を高揚し、善に向わしめ、天国世界創造のため、美術、芸能等の芸術を盛んにする御本願を、そして祭典の余興もその御趣旨によるものなるを、附説せられた。
 そして最後に、多数の寸鉄に爆笑して祭典を終り、快い昂奮に心も軽く、楽しい昼食をとった。
 (中略) この祭典の儀式の極めて簡略化されたのは意外であった。秋のそれに比し、大祭祝詞も、玉串奉奠などの儀もなかった。



 御教え集7号 昭和二十七年二月五日(立春祭)

 中々、古い人でも、可成り強い浄化が起るんですね。で、信仰の固まつている人は、何んな強い浄化でも、それを逃れますけれども、少しフラフラしている人は、中々危ない事があります。けれども、結局は救われますけれどもね。偶には、子供や何かの身代りなんてのがありますから、余程しつかり信仰を握つて居なければ負けですね。ですから、今日を過ぎたら、面会の度に、最後に私が五分か十分位、皆を浄霊してやろうと思つてます。浄化の為に活動に影響するといけないですから、出来る丈そう言う事のない様に、やつて上げ様と思つてます。


 御教え集8号 昭和二十七年三月二十三日 春季大祭

 今日は浄霊はしない積りだつたんですよ処が、さつき阿部さんから、非常に希望されると言うんで、どうもそう言う御希望があつたんでは、やらない訳にはいかないから、やる事にしましたがね。何しろ多いですからね。受ける人がね。ですから、相当時間が何時もよりかかるかも知れませんがね。大体十五分か二十分ですがね。話はこの位にして、之からやります

 御教え集8号 昭和二十七年三月二十四日 春季大祭

 美術館の話もしたいが、時間があまりないですから、この位にして置きますが、と言うのは、お祭中は浄霊はしない積りだつたんですが、昨日是非して貰いたいと、当てにしている人が沢山あると言うので、じや仕方がないので――どうも頼まれれば嫌と言う事は言えない性分ですからね。やつぱり、神様の慈悲と言う事もありますし、江戸つ子の義侠心と言うか。そんなものでね。ですから、之から浄霊しますからね。

 御教え集8号 昭和二十七年三月二十七日 春季大祭

 私が言う通りやると、ちやんとなる。だから、鉱山のある処なら成功しますよ。原理は今の浄霊と同じですよ。大変時間が経つちやつたね。もつと話したい事があるが、いずれ段々話します。
 お祭中は浄霊しない積りだつたんですが、非常に期待して来た人が多いんで、是非やつて呉れと言うものですからやる事にしましたがね。多いから時間が何時もの倍位掛りますから、二十分位掛りますからね


 御教え集11号 昭和二十七年六月十五日
  神仙郷完成兼美術館開館記念祝賀式典

 そんな様な訳で本当にゆつくり見たら半日でも見切れません。何しろ之丈――二千人の人ですから、ゆつくり見て居られないから今日は瞥見程度にして、お参詣に来られる度にちよいちよい見た方が楽しみも深いし、ゆつくり見られる訳ですね。あとは実物を見て――まあ、美術館案内です。
 今日は浄霊しない積りですが、どうも皆さんのお頼みが非常にあるので民主的にして――。

 御教え集11号 昭和二十七年六月十六日
  神仙郷完成兼美術館開館記念祝賀式典

 切金細工の代表とも言うべきもので、それもやつぱり見る価値があります。それで終りにして置きます。細かく言つたら切りがないから話はそれ丈にして置きます。
 本当は浄霊はしない積りだつたんだが、希望の方が沢山あるというので、どうも頼まれると断われないという性分でね――。


 御教え集11号 昭和二十七年六月十七日
  神仙郷完成兼美術館開館記念祝賀式典

 又兵衛よりあの方が古いです。浄霊は斯ういう時はしない積りですが、どうも非常に希望があるというので、断り切れないのでやります。

 御教え集14号 昭和二十七年九月二十三日 秋季大祭

 話は其位にして、浄霊を非常に希望してますから、浄霊をします。

 『栄光』177号 昭和27108日発行 
  昭和二十七年 世界救世教秋季大祭の記 松籟生

 式典は九時三十分より開始され、岡庭直次郎斎主の御神前報告に続いて、石坂隆明神饌長、大槻、高頭、平岡、岡庭、堀内、彦坂の各祭員による献饌玉串安後取、玉串後取、いと厳かにとり行わせられ、岡庭斎主、大草管長、木原役員代表、渋井男子信徒総代、中島女子信徒総代の順にて玉串の奉奠をすませ、更に大草管長の音頭にて、天津祝詞及び善言讃詞の合唱あり、次いで木原理事の先達にて今回の祭典の為明主様が特に御作り遊ばされし御詠十八首を合唱して後撤饌あって祭員一同退席、十時四十五分滞りなく式を終えたのである。
 祭典終りて管長の御挨拶あり、お待ち申上ぐる事暫し、明主様には午前十一時十分前御奥方様叔母上様と共に信者一同最敬礼の裡に御臨席遊ばされ、大草管長の御挨拶をうけさせ給いて後御高話を下し給われ、終って一同に対し、約二十分間御浄霊を賜い、零時御帰還あれせらたのである。

 御教え集14号 昭和二十七年九月二十四日 秋季大祭

 では、今日は之位にして置きましよう。大勢だから浄霊も少し時間をかけてやります。

 御教え集14号 昭和二十七年九月二十五日 秋季大祭

 仮りの世界です。ですからそういう事が分ると、何にでもちやんと出てますから、世界が何うなる、文明が何うなる、という事は大体見当が附くわけです。そんな様で――話が長くなると……浄霊があるから、此の位にして置きます

『栄光』290号 昭和3015日発行  

明主様御降誕祭行わる(昭和29年12月23日)

 やがて十時五十分明主様御出座の声に一瞬サッと身の引締る思いで頭を垂れ御待ち申し上げ、六月十五日以来半年振りに御面会いただける喜びに信徒の胸は高鳴り、世紀の祭典はいよいよ繰展げられたのである。
 明主様御着座遊ばされるや、信徒代表にて管長先生の御祝言上と日々の御守護御礼並びに御守護御願いに、軽く御会釈賜わる明主様に感胸に迫り、ともすれば涙の溢れ出づるを禁じ得ず……次いで管長先生御先達にて天津祝詞奏上すれば段々と天に木霊(こだま)して全山を埋め、次いで木原先生より御玉串奉奠あり、明主様御退座遊ばされた。
 しかして本日特に御奥様より今日の御祝に下された御歌四首――初めの二首は明主様に御代り遊ばされて御詠み下された御歌――を、木原先生のあの流暢な節廻しにて御取次の御朗詠あれば、御奥様の御心の程が窺われて、有難きに涙あるのみであった。最後に管長先生の御挨拶あり、式典は厳粛裡に終了した。

【2011年 3月大阪】