2月3日 節分祭の意義

我々は全員、国常立尊様を三千年の長きに亘って押し込めた張本人であり、本来は世界的規模の罪穢れを背負っておりますので、当然ながら尊様に対し奉り、尊様へのお詫びの言葉を口にしないと許されない訳ではありますが、いくら口でいい言葉、お詫びの言葉を並べたとしても、想念が伴わければお詫びにはならず、祭典は無意味なものとなります。

かつての昼の時代、国常立之尊様は八百万の神々の長であり、我々人間の教育係でも在られたのですが、昼の時代から夜の時代へと時代が変わろうとする時に、厳しさに不満を持つ八百万の神々や人間達の排斥を受けて艮(北海道の芦別岳)に押し込められました。そしてその時以来、「慈悲」ということを身に付けられ、その慈悲に甘えて現在まで我々人間は縋り続けて生きてきております。そこには常に自分を甘やかす体質が染みのように心に纏わりついています。自分の言い分が正しくて相手が間違っているという、自分と他人との分離、排他性であります。夜の時代に許して下さっていたことも、昼の時代には許されなくなります。その許されなくなる時が、昼の時代が全開になる今からなのであって、今我々人間が変わろうと自分自身をリセットしなければ、神様の御経綸に沿わない存在となり無用の長物になってしまいます。その変わらなければならない内容というのは、我々が現在まで犯し続けてきた罪を自覚して、二度と同じ過ちは繰り返さないと悔い改め改心して、新しく生まれ変わろうとする姿勢に切り替えるように、自らが決心することであります。

(平成31年 2月3日 節分祭意義と想念の在り方より)

 

令和二年 節分祭

【箱根】

御神名 『主之大御神』 『大彌勒大御神』 天津祝詞・善言讃詞奏上

【奥津城】 

御神名 『国常立大御神』 神言奏上

 

【熱海】

御神名 『国常立大御神』 神言奏上