叡智を磨くこと

叡智とは、賢明な人間が表わす智慧で、仏教で智慧証覚とか、単に智慧と言うのは、これを指すのである。併し今の世の中はこの叡智さえも働く人は洵に少ないのである。それは言う迄もなく、邪念の為に物の正しい判断がつき難いからである。こり例を一つ書いてみよう。今日政治家は勿論の事、凡ゆる有識者と雖も、或問題に対し会議をする場合、小さい問題になると、十数人或は数十人が額を鳩め、侃々諤々の議論を闘わし、何回も何日も会合しても仲々結論を得られないというのであるから、如何に頭脳の働きが鈍いかという事である。考えてもみるがいい、如何なる問題と雖も結論はたった一つである。決して幾つもありはしない。それが大勢の頭脳と、幾日もの日時がかかるというのであるから、実に情けないの一言に尽きるのである。これというのも全く叡智が足りないからで、叡智の足りないという事は頭脳が曇っているからで、頭脳が曇っているという事は邪念があるという事は唯物主義を信奉するからで、唯物主義を信奉するという事は、神の実在を認めないからで、神の実在を認めないという事は、神を信じさせ得る宗教がないからである。とすれば、神の実在を如実に知らしむる宗教こそ、本当に生きた宗教と言うべきである。斯様に諄々しく言わなければならない事程さように、現代人は頭脳が悪くなっている訳である。

この意味に於て叡智のある人は、如何なる問題にぶつかっても、数分乃至数十分間に結論を発見し得るのである。これに就いて私は部下に対し、如何なる問題に当っても、結論を見出すまでの議論は先ず三十分位を限度とし、長くとも一時間以上になる場合は、その会合を一時中止し、他日を期して再会議するか、又は直接私に相談せよと言うのである。

私の事を言うのは心苦しいが、私はどんな難問題に対しても数分間で結論を見出すのである。偶には急速に結論を見出し得ない場合もあるが、そういう時は強いて見出そうとしないで、一時それを延ばすのである。そうすると間もなくインスピレーション的に、必ず結論が頭に閃くのである。

 

【天国の福音書 「五智を説くより」著述篇12 P24】