御教え集21号 ⑥神様は一人でも多くの人を救うか救わないかという手柄を主にする

私はいままで見てますが、小乗の人は必ず発展しないのです。窮屈な感じがします。あなたはこういうことをしてはいけない、神様の思し召しにかなわない、というようなことを言うと窮屈になります。そうではなく、自由でゆったりとした気持ちにならなければならないのです。またそうするのが神様の思し召しにかなうのです。神様は小さな欠点はとらないのです。ただこの人間は一人でも多くの人を救うか救わないかという手柄を主にするのです。だから仮に欠点が三つあり、働きが七つあると、差し引き四つはプラスになるから、そういう人は神様の御守護が強いのです。それで一つの欠点とすると、六のプラスになるから非常に御神徳があることになります。もう一つは、それと同じことですが、小乗信仰と大乗信仰の違いさは、小乗信仰は自分が救われようとするのです。自分はどうでもよい、世の中の苦しんでいるこの人たちを救わなければならないというのが大乗信仰です。だから自分が救われようということは捨てて、多くの人を救わなければ、とてもかわいそうで見ていられないということを、本人が始終思って念願するのです。そういうのが本当の信仰です。ところが自分が救われようとしているのですが、それは自己愛ですから、そういうのは神様はあまり御守護されないのです。それからそういう人は、人からちょっとでも悪口を言われたりすると気にかけるのですが、それは自己愛だからです。人からなにを言われても、そんなことは気にしないで、神様にお気に入られればよいのです。だから人を相手にせず、神様を相手にしろと言うのです。だからその点ちょっとしたことですが、たいへんな違いです。だからどこまでも大乗信仰です。それで大乗信仰の人は、人が良いとか悪いとか、そういうことは言わないのです。小乗信仰の人に限って、あそこがいけない、ここがいけないということを始終思ったり口に出したりするのですが、それがいけないのです。第一人が良いとか悪いということは分かるわけはないのです。

 

【御講話10 P183】