御教え集6号 ④伊都能売式とは自分も良し、人も良しということ

それから、すべての信仰的の考え方ですけれども、やっぱりいまと同じように、自分も良し人も良し、人も良し自分もよし、というのでなければいけないですね。よく、戦争時分なんかも、滅私奉公なんて言いましたが、あれはいけない。極端ですね。滅私というのは、自分を滅すというんだからね。自分がなくなっちゃ、奉公なんかできない。しかしあれは、私を滅するという・・・私利私欲をなくすると言うんでしょうが、これもやはり極端です。だから、伊都能売式に言えば、人も良し自分も良し・・・これでなければ続くものではない。自分だけは犠牲になって人は良い、ということはいけないし、人を押しつぶしても自分が良く、ということもいけないですね。両方が良くなければならない。そんなうまいことができるかと言うが、できるんです。むしろ、自分が良ければ人も良い、というのができやすいんです。いままでは知らなかったんですね。大本教のお筆先にこういうことがあった「人良かれの信心でないと、神の気持ちにかなわぬぞ」人良かれ・・・これはうまい言葉ですね。それから「今の世は、自分さえ良ければ人は何うでも良いと言うむごい心になり居るから・・・」とある。ですから、大本教では「我良し信心」というのがありますね。これは勿論いけないですね。私の『信仰雑話』にある通り、自分が幸福になりたければ、人を幸福にする。どこまでも愛ですね。他人を幸福にするという・・・これが欠けてはいけない。これが伊都能売になる。自分を捨てて人ばかり良くするというのも極端で、自分さえ良ければ、人をぶっつぶしても良いという・・・これも極端です。

それから・・・今日はお説教じみたことが多いですけれど、邪神ですね・・・邪神がなかなか活躍しているんですよ。この間も言った通り、邪神というものは、信者を一番目掛けている。ところが信者は、自分は神様の御守護があるから・・・邪神は信者でない者に憑いて、そうして邪魔をする・・・こういうふうに思いがちなんです。そういうことはあるにはありますが、ところがそういう邪神は、ごく力の弱い邪神なんです。邪神のほうのへっぽこですね。ところが邪神のほうで、力・・・腕のあるやつは、信者に憑るんです。これが怖いんです。それで・・・憑っても、決して悪い意味じゃない。信者ですから、間違ったことや悪いことを考えることはしない。「これが良い。こうするのがお道のためになる」と思わせるという・・・これが怖いんです。

(中略)

ですから、邪神を気をつけるのは自分ですよ。自分のやり方は、邪神にやられているんじゃないかと、審神するんですね。そいつは大いに必要です。ですから、そういう場合に、よく・・・こうしたほうが良いか、ああしたほうが良いかと迷うときがあるが、そういうときは大乗でみていくんですね。教団全体から見てどうかと、ところがどうも・・・人間というものは、自分たちの会なら会を盛大にしようというんですがね。それは大いに結構ですがね。そのくらいの自信を・・・優越心がなくてはいけないですが、そのために他の教会なら教会に影響させて、自分が良くなろうという・・・この点がいけない。ですから、自分の会も良くし・・・他の会も良くなるというような意味から言えば結構ですが、そういうときに、ちょっと自分を審神するんですね。自己批判ですね。難しいことはない。じき解る。そういうときを狙って、邪神がよくやりますからね。だから、その点を改心するんですね。

 

【御講話篇6 P337】