お光の強さについて

私の光に就いて

『栄光』237号、昭和28(1953)年12月2日発行

 これは信者はよく知っているから、事新しく言うまでもないが、最近の御蔭話中にあった左の報告は、霊視者が子供でありしかも色々な面に渉っての光であるから、一つの参考にもなると思い、この文を添えたのである。そうしてこの霊視は正確である事も付言するが、これを読んで自分もそういう能力を得たいと思う人もあるであろうが、それは無駄である。というのは人間にはその人特有の能力を与えられているもので、万事は神様次第である。そうして、私の光は日に月に強くなりつつある事で、いずれは色々な形で見える人も増えると共に、それに準じて病気の治り方も顕著となり、奇蹟もその通りになる。従って一般にも分りが早くなり救われる人も増える訳で、段々面白くなって来るのである。
 この様に私がもっている光こそ、人類肇って以来一人もないので、それが為人類は病貧争の悩みはどうする事も出来なかったのである。従って公平に言って、昔からの如何なる宗教の開祖でも聖者でも、私から見れば力が弱く、弟子くらいに当るのであって、これというのも全く時が来たからである。

    
大分県  N.N

 「お守からお光が出る」ということは、御浄霊を受けると身に霊感を感ずることや、御浄霊により病気の治る事実から、帰納的に信じて絶対に疑う余地はありませんが、お光そのものを視せられたことはありませんでした。勿論御神体から薄いお光の出ることは、私はじめ家族一同常に視せられていますが、御守や明主様の御写真からお光が出ることは未だかつて視せられたことがありませんでした。
 然るに本年春頃より、私の長男S(九歳)がお光を霊視する能力をいただいて、只々有難く、勿体なく感激で一杯でございます。実は本年春頃からSが、「お守から御光が出るのが見える」と時々申しましたが、子供のいうこととて気にも止めませんでした。併し度々申しますので「それでは御神体や明主様の御写真からはどうか」と尋ねますと「御神体からは御守よりも強いお光が出て、御写真からは尚一層強いお光が出ます」と申します。「それでは御写真のどこからお光が出るか」と問いましたところ「明主様の御体全体からお光が出るが、特にお腹から一番強いお光が出ます」との答、ここに初めてお光を霊視することができるのではないかと、吃驚させられたのであります。
 それ以来色々と試してみました結果、全くお光を霊視する能力を戴いているものと思われます。当支部の信徒や、中教会に参拝して信徒特に資格者、M中教会長先生など何十人も見せましたが、光輝く金色のお光が出ると申します。御浄霊をしている人を見ると、その人の御守からお光が出てその掌から金色のお光が何百何千という程沢山出るとのことです。そしてそのお光の太さ、強さが一人一人違います。小さきはミシン糸よりも小から、ミシン糸、木綿糸、お箸、火箸、小指、中指、親指の大きさというように、各人皆違います。明主様の御教えに「御浄霊のお光の強さはその人の信仰の程度と、お守の取扱いによる」とのことを如実に知らされました。
 又同じ人でも御浄霊する時の心構えについて光の強さ太さが余程違います。御浄霊に心を集中している時と、わき見しながら、あるいは話しながら御浄霊する時とはお光の強さに大変な違いがあります。
 又正座してするときと膝をこわしてする時も違います。又掌を御浄霊する個所に正面させたときと斜めにした時とも違います。額と掌と浄霊個所の三者が一直線になるようにし、光を送る想念を強くはたらかせると最も強いお光が出るようです。
 特に手の力を抜いて浄霊する時と、力を入れている時とは大変な違いです。まったく明主様の御教え通りです。
 こうしたことを詳さに具体的に知らされて、私は固より信徒の方々も、自己の信仰乃至御浄霊の時の心構えなど、大いに反省させられています。
 次にお光は凡ゆる物を透して、然も極めて遠くまで行くものだと知らされました。掌から出るお光はいかなる障碍物をも突き透して、太陽の光の如く先拡がりに進んで行き、その中心が特にお光が強いとのことです。
 なお大光明如来様の御神体から出るお光は、お守から出るお光の何倍という大きさ、明主様の御写真から出るお光は、御神体から出るお光の何倍という大きさであることも知らされ、御神体や御尊影を御奉斎させていただいている光栄! 有難さを沁々痛感させられています。
 普通人には視ることのできないお光を、愚息に霊視させていただいて、信仰上反省させられ、裨益されることの極めて大きいことを衷心より御礼申し上げます。明主様、洵に有難うございます。謹んで御礼申し上げます。
 なお今後も御神業の御用の一層恙がなくさせて戴けますよう御許し下さいませ。御願い申し上げます。