南朝・北朝について
今迄色々と歴史を研鑽させて頂く中で、現代から遡らせていただきますと南北朝時代にまず突き当たります。
丁度鎌倉時代と室町時代に挟まれる時代で、足利尊氏が京都で光明天皇(北朝)を擁立し、京都を脱出した後醍醐天皇は足利尊氏に渡した三種の神器は贋物であるとして、吉野で朝廷を開いたとされています。(奈良県歴史文化資源データベースより参照)
そして現在に繋がっております。
今回も御神書と照らしあらせて考察させて頂きたいと思います。
メシヤ様(岡田茂吉師)の御神書では以下に書かれております。
・北朝は支那−盤古系で、南朝は素戔嗚尊系であり、徳川系である。皇室は現存するとすれば北朝である。(足利は北朝系、楠木は南朝系で、水戸公が忠臣に祭り上げた)征服者同志が妥協して作ったのが明治政府で、今度は整理されて、特権階級は没落してた。真の日本人は下積みになった。(s23.1.27)講話集(補)2274
・要するに、朝鮮系と支那系が日本を征服したので、原住の大和民族は下積みとなり、埋もれてしまった。本当の日本人は被支配者となった。講話集(補)2476
・大和民族のほうはそうとう古いんです。これはまったく戦争を嫌い平和愛好民族なのです。ところが素戔嗚尊が朝鮮からやって来てすぐに日本を征服したが、それがまた神武天皇に征服されてしまった。大和民族はこの二つの民族の下積みになって判らなくなってしまった。日本を支配したのは朝鮮、支那の民族であって日本民族はずっと支配されてきた。朝鮮系は素戔嗚尊から三代を経て大国主命になったんですが、いままでの日本の歴史とは朝鮮系と支那系の天下の『とりっこ』であって日本人の行動は出てない。いままで人民の歴史がなく、特権階級の歴史だったのはそのためなのです。これから本当の人民の歴史ができるんです。(御光話録)
・大本教なんか、出口仁三郎先生ですね。あの人が不敬も不敬、たいへんな不敬だったですね。十六の菊の御紋をつけた羽織を着て、服装なんか宮様でも着るような服装をして、言うことも、ワシが日本の本当の天皇の系統だと言う。というのは、あの人は有栖川の宮さんの落とし子だそうです。これは本当でしょう。有栖川の宮さんが京都になされたことがある。そのときに近侍として出た若い娘にお手がついたとの話です。そのとき生まれたのが出口王仁三郎先生だと言うのです。だからお母さんが有栖川の宮さんの胤をいただいたわけですね。それは、お母さんが危篤のときに出口先生が行って、いままで隠していたが、お前は本当はこういう事情のもとに生まれたのだ、という話をされた由です。その直後に私は見舞いに行って帰ってきて出口先生に直接聞いたんです。それからガラッと変わったんです。俺はそうしてみると本当の日本の天皇の系統だ、という気持ちになった。それで明治四〇年ごろに「南北朝正統論」というのがやかましく言われましたが、学者の説で南朝が正統だということになったんです。で、その当時の天皇の系統・・・終戦時の天皇の系統は北朝ですから、北朝は本当ではない。俺は南朝の正統だから、俺こそ日本の天皇になるべきものだ、という考えになっちゃったんでしょう。
御教え集11号
南朝は素戔嗚尊系であり、北朝は神武天皇系で、真の日本人は下積みになった。
いままでの歴史は朝鮮系と支那系の天下の取り合いであった。これから本当の人民の歴史ができるとあります。
『そこで愈々神武天皇の御代となり、四隣の平定に取り掛ろうとしたが、当時各地に蟠踞していた土匪の豪族共が、仲々の勢力を張っていたので、天皇の軍に対し反抗的態度に出でたのは勿論である。彼の歴史上にある八十梟帥、長髄彦、川上梟帥、熊襲等の群族がそれである。然し天皇の方は武器や其他が進歩していた以上、大方征服されて了い、若干は天皇に帰伏した者もあったが、逃避して下積になって今日に至った者もある。斯うみてくると、日本の民族は四種に分ける事が出来よう。即ち天照天皇を擁立していた純粋の大和民族と、瓊瓊杵尊系統の天孫民族と、素戔嗚尊系統の出雲族と、そうして右の土匪であるが、此土匪の系統こそコーカサス地方から蒙古、満州を経て、北鮮から青森付近に上陸したもので、漸次本土深く侵入し、遂に近畿地方に迄及んだのである。それより西方には侵入した形跡はないらしい。今日各地に発掘される石器、土器の類も、右の如く大和民族と土匪との大体二種類である。進歩している方は弥生式土器といい、勿論大和民族である。
以上の如く、日本の主権を握るようになったのが天孫系統であって、それが終戦迄続いて来たのである。然し其長い期間中と雖も、時々純大和民族の系統も生れて来た。彼の仁徳天皇、光明皇后、光明天皇等はそれである。処が、長い間素戔嗚尊系統が大権を復活しようとして、凡ゆる手段を続けて来た事である。例えば南北朝の争いにしろ、此時は北朝が天孫系であって、南朝が出雲系であった。此様に両系統の執拗な争いが、日本歴史として織り込まれて来たのであるから、其根本を知らない限り、歴史の真相は把握出来ないのは勿論である。そうして其最後の表われが徳川幕府の政策であってみれば、真の目的なるものは言わずと知れた、天皇の大権を還元するにあったのである。然し家康の深謀遠慮は早急を避け、出来るだけ長年月に渉って、漸次的に目的を達しようとした。それは人民を刺戟する事を出来るだけ避け、長い期間に天皇の存在を薄れるべき方針を採ったのである。此点家康流の智謀がよく窺われるので、何よりも幕末最後に到って、皇室費を極度に減らし、遂に十万石という少額を分与する迄になったにみても明かである。徳川八百万石に対し、十万石とは殆んど問題にならない額であるばかりか、それも遂には杜絶え勝となったらしい。というのは、当時京都御在住の明治天皇が、六、七歳の頃の事、召上る御菓子に不自由をされたので、近くの菓子屋「虎屋」の主人が見兼ねて、御不自由なきよう取計らったという事で、其忠誠を深く嘉せられた明治天皇は、東京に居を遷され給うや、早速「虎屋」の主人を呼び、永久に宮内省御用を仰せつけられたという話がある。
(中略)
茲で、愈々霊界の推移を説かねばならない。素戔嗚尊の遠大な意図を蔵して、大権復活の目的を達成しようとしたその手段である。それは神武天皇以後種々の計画を進めて来たことによって、追々露骨になって来た。それが現界的には藤原氏頃からであったが、即ち天孫族と出雲族との主権の争奪である。例えば道鏡と和気清麻呂、清盛と重盛、時平と道真、尊氏と正成等の事績が之を物語っている。
そうして遂に徳川氏に及んで、愈々露骨となって来た。
之は曩に述べたから略すが、茲で何人も気の付かない興味があるからそれをかいてみよう。
出雲系は徳川期に到るまで、約二千余年に及んでも、尚目的を達せられなかったので、之迄の武力を放棄し、茲に百八十度の転換をした。それは宗教による事である。即ち神道としては天理教、大本教、金光教、妙霊教、黒住教であり、仏教としては日蓮宗に其手段を求めたのである。
右の中、最も顕著な成績を挙げたものは、彼の天理教である。同教教祖のかいた御筆先及び御神楽歌をみれば、右の意図がよく表れている。
それによると日本の天皇は支那系であるという事が主となって、頗る露骨に書いてある。その中に斯ういう御神楽がある。
「高山の真の柱は唐人や、之が第一神の立腹」とかいてある。
言う迄もなく高山の真の柱とは勿論天皇の事で、天皇は唐人即ち支那人であって、神の立腹とは即ち素戔嗚尊であろう。又他の歌には、政府に於ける全般の官吏も支那系であるというのである。
日本人種の霊的考察(中)
『当時各地に蟠踞していた土匪の豪族共が、仲々の勢力を張っていたので、天皇の軍に対し反抗的態度に出でたのは勿論である。彼の歴史上にある八十梟帥、長髄彦、川上梟帥、熊襲等の群族がそれである』とございますが、出雲口伝ではナガスネヒコは出雲神族と書かれております。
御神書によりますと、土匪ということになります。
また、『土匪の系統こそコーカサス地方から蒙古、満州を経て、北鮮から青森付近に上陸したもので、漸次本土深く侵入し、遂に近畿地方に迄及んだのである。それより西方には侵入した形跡はないらしい』とあり、土匪についての御神書を研鑽させていただきますと、
厳密にいうと人種的関係がある。日本には大体四種ある。日本、支那、朝鮮と土匪である。何れ発表するが、時期の関係で未だ早い。はっきりすると天皇に関する事が根本になっているので。(S25.5.5)
講話集(補)736 血液型と人種
『神武以前に渡来侵入したのは土匪で、ついに近畿地方まで侵略してきた。それで終に神武天皇に征服された。そうして北方に移住した。之は神様のお尤めを蒙り、日本に長くいられなくされている。日本人種に混じっている民族は沢山ある。漢民族は忠君愛国思想である。二・二六事件を起こしたのはその反対派で、これは素戔嗚尊系統である。かくの如く、素戔嗚尊と盤古系は戦った。コーカサスの混じったのがアイヌである。』
これは私はいつか書いたことがあるが、日本人の中には、昔コーカサスから渡って来た民族があり、これが日本の土匪・・・熊襲・・八十梟帥というものですが、そのうちの一つがアイヌなのです。これがだんだんあっちに押し込められて亡びつつありますが、その霊的の系統がみんな共産主義になっているのです。先祖はロシアから渡ってきたのだから、本国の利益を図るということはあたりまえです。
御教え集29号
元々は侵略と、日本人種に同化していった民族でその中の一つがアイヌになったとあります。そして、土器は大体が大和民族と土匪。弥生式土器は大和民族とあります。
南朝と北朝の執拗な争いが、日本歴史として織り込まれて来たのであるから、其根本を知らない限り、歴史の真相は把握出来ないのは勿論であるというところは、上記のメシヤ様(岡田茂吉師)の御神書を拝読させていただかなければ、歴史の真相は決してわからないことでしょう。
南北朝の争いというのは御神書でいう天孫族と出雲族であり、その前が天照大神であると御神書にははっきりと書かれております。
その前というのは、歴史を遡らせて頂きますと古代日本を纏めていた出雲王国であり、御教えでいう大和民族に他なりません。
それが現代では有耶無耶にされ、北朝が正統、南朝が正統だとかいう話になっているのではないでしょうか。
メシヤ様(岡田茂吉師)の御神書は世間には流通しておらず、多くの方々に読まれていないのは残念で仕方がありません。
どこか新興宗教的な宗教観ですし、分派も沢山ございますし、宗教団体であるが故に拡がって行かないのでしょう。
ましてや、歴史と照らし合わせてるのは当協会だけだと思います。
インターネットでは、メシヤ様の御教えをアップされているHPやブログなど沢山はあるのですが、御教えだけをアップしたところで信仰をされている信徒の方々が目にすることが大半で、世間の方々が目にすることは検索して辿り着かないと難しいでしょう。
しかし、この御神書は本当の真理が書かれた素晴らしい御書であり、一人でも多くの方々に少しでも読んで頂きたい。そう思って考察させていただいているのですが、最近では検索から多くの方々が当教会へ訪問をしていただいて読んで下さっているようで本当に有難く思います。
やはり歴史と照らし合わせている為、多くの方々に読んで頂けているのだと思います。
スピリチュアル的な感じで不思議なことばかりなのですが、歴史すら知らない私を使って研鑽させ、体現させて動かしておられる御存在が確かにいらっしゃるのです。
この歴史の真相、真理をどうか拡散頂けますと幸甚です。
今までの御神業も本格的になり、体現のスピードの速さになんとかやっと進ませていただいている感じなのですが、まだまだこれからがスタートだそうで、人間力・自力はむしろ要らないようですので、余計な事を考えずに素直に事象・直感に集中し、コツコツと思うままに体現させて頂きたいと思います。
来月からはいよいよ、更に現界に移写されるようです。
これからも主神様であられるメシヤ様の御力に只々お尽くしさせて頂き、力強く進ませて頂きたいと思います。
日々Xより投稿させて頂いております。
良かったらご覧ください。
お読み下さりありがとうございました。
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