国常立尊様の四魂

昨日、ある資料を探している折に、偶然一つの文書が目に留まりました。
それはN氏による「祈願書要約」というもので、おそらく資格者のみに配布されたものと思われます。内容には仙人の語りを基に、大本教における御神事がまとめられておりました。

その中に「国祖・国常立尊の四魂」に関する記述がございました。

丑寅に鎮まるとされる国常立大神は直霊のみであり、四魂はそれぞれ丹後の大島、伊豆大島、奄美大島、吉備大島に分かれて隠れられていたとのこと。やがて三魂は出口なお、出口王仁三郎両師によってお迎えされ、綾部の大本に鎮座されたと記されています。

しかし昭和十年の第二次大本教弾圧の折、国祖神の三魂は丹波の元出雲神社へと遷され、その後、岡本秀月氏によりお迎えされ、昭和三十七年十月十日、吉備笠岡の大本教に再び揃って鎮座されたと伝えられています。

さらに丑寅の直霊は平成三年十月十日、東北の松緑神道大和山から大本教に納められ、これによって国常立尊様は完全に御復活を遂げられました。続いて同年十二月十九日には丹波の月の宮へと運ばれ、翌平成四年六月十三日に月の宮開きが斎行され、吉備大本教を経て再び丹波の地へと戻られたとのことです。

ここでいう丹波の地とは、元出雲神社のことで「丹波 元出雲神社」と検索してみて下さい。「出雲大神宮」と出てまいります。
昨年、私も御神事で出雲大神宮へ御神事に行かせていただきました。その考察をお読みいただければ、

御神事の意味もより深くご理解いただけることと思います。

出雲大神宮の考察

京都 丹波国一之宮 出雲大神宮

御神事までのことをアップさせて頂こうとする中で、クナト大神様が国常立尊様と繋がらせて頂いき、色々研鑽させていただいている中で出雲大神宮があるのを最近知り、12月8…

その折には国常立尊様の御神山に登ることは叶いませんでしたが、本殿にて真心を込めて想念を合わせさせていただきました。
昭和十年から平成四年に至るまで、幾多の困難を経ながらも大切に御神事が守られてきたことを、

今回も初めて知り、深い感動と畏敬の念を覚えております。

思えば私が出雲大神宮に導かれたことも、決して偶然ではなく必然であり、本当に神様が御教導下さっていることを感じます。
大本教を通じて脈々と受け継がれたこの重大な御神事の重みを、改めて痛感しております。

直霊と四魂とが揃い「一霊四魂」が成り立つことにより、芦別岳と出雲大神宮の結びつきが顕となり、現界にまさしく国常立尊様の完全なる御復活が実現されたのだと確信いたします。

こうしてまた一つ、事象を通じて学ばせていただけたことに感謝を禁じ得ません。
日々、神様から分からせていただく恵みを忘れず、一歩一歩、誠を尽くしてお仕え申し上げることを胸に刻み、これからも進ませていただきたいと存じます。

投稿者プロフィール

naturallife4325