書籍紹介①【幸の神信仰】日本で最初の人格神 

一番最初に研鑽させて頂いた時に読ませて頂いた書籍です。

「サルタ彦大神と竜」

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古代には世界各地で自然物の太陽や月を拝む習慣があったそうで、日本人は古くから祖先神をもっとも大切にして、その依り代を神棚に置いて祈ったり、村人が共同で石神を祀っていたのが【幸の神】だそうです。

そして家々の祖先神から村の祖先神へ、弥生時代に出雲王国が成立し主神を「久那斗の大神」、妻神を「幸姫命」、息子神を「サルタ彦大神」というようになり、幸の神は日本で最初の体系化された人格神。大神という表現は古事記や日本書記ではこの三神だけだそうで、最高神という意味だそうです。

日本の始まりが「出雲王国」なのです。

久那斗の大神は伊弉諾尊、幸姫命が伊弉冉尊で記紀神話が作られ、また、「大祓祝詞」の中の「祓へたまひ清めたまふ事を。高山・低山の末より、佐久那だりに落ちたぎつ速川の瀬にます、瀬織りつ姫といふ神・・」の佐久那だりという形容動詞が久那斗大神のことと書かれております。

そして、出雲は「出芽(いずめ)の国」(芽が大きく出た所)という意味で、同様に「出雲の神」は古くから「出ずの芽の神」(いずのめのかみ)と呼ばれ、古事記では『伊豆能売神』と書かれております。

Wikipediaでは、

伊豆能売(いづのめ)は、日本神話に登場する女神である。『古事記』にのみ登場し、『日本書紀』には登場しない。『古事記』でも出自や事跡についての記述が一切ない。

『延喜式神名帳』には伊豆能売を祀ったと思われる出雲国出雲郡の「神魂伊豆之賣神社」が記載されており、同社は伊努神社に合祀されたとされているが、同社の祭神に伊豆能売の名はない。『延喜式神名帳』以外にこの神社について記載した史料はなく、伊豆能売を祀る神社は現存しないことになる。 しかし、伊豆能売の名を冠しない式内社は現存しており、三重県津市の元伊勢伝承地の一つである「加良比乃神社」は倭姫命天照大御神を奉戴して「片樋宮」を建立した跡地に「御倉板舉神」と「伊豆能賣神」を祭祀したのが起源とされている。

Wikipedia

伊都能売神、というのは文明の創造や御神書にも記されております。

「天照皇大神と伊都能売大神の御経綸について・・・伊都能売大神につきましては『古事記』にも出ておりませんが・・・」

伊都能売大神のことは昔は言えなかった。いい加減にボカしてあったんです。

御光話録

日本古来の神々は印度へ渡航し、化身仏となられたので、其化身仏の総領が伊都能売神であって、当時日本に於ける最高の地位であられたのである。処が其頃素戔嗚尊を中心とする朝鮮の神々が渡来され、伊都能売神の地位を狙って犯さうとしたが、安易に応諾されない為威圧や迫害等から進んで、遂に生命に迄も及んで来たので、急遽御位を棄てられ、変身によって眼を外らし、窃かに日本を脱出し、支那を通って印度へ落ち延び給ふたのである。そうして観世音菩薩の御名によって、当時印度の南方海岸にある補陀洛といふ名の、余り高からず山の上に安住せらるべく、新たなる清き館を建てられた。

文明の創造『伊都能売神』

観世音菩薩であり、釈迦に教えを垂れられた神様であります。

「出雲の神」が「伊都能売神」であったということ。

また印度に落ち延び給ふた、というのは印度は出雲神族であるドラヴィダ族の故郷でもありますから書籍と御教えが合致致します。

詳しくは書籍を照らし合わせて研鑽してみてください。

となると・・その前は国常立尊様の時代となります。

また、その先も研鑽中ですがやはり世界歴史にもどうやら繋がっているようです。

此苦悩に充ちた世界人類を救はうとするには、何よりも先づ可笑しな言ひ方だが本当の真理を解明し、世界人類特に文化民族の知識人に、自覚させなければならないのである。之が真文明を生むべき根本要素であって、之以外決してない事を私は断言するのである。

文明の創造『最後の審判』

本当の真理とは、本当のこと。間違いのないこと。であり、解明とは、解き明かすこと、はっきりさせること。でありますので今回も更に深く判らせて頂き、更に本当の歴史をお出しさせて頂く事が真文明を生むべき根本要素だと確信させていただきました。

日々の発信もXにてさせて頂いております。

どうぞよろしくお願いいたします。

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