観音様について 【まとめ】

観音様について⑴から⑶までアップさせていただきましたが如何でしたでしょうか。

再度分かりやすくまとめさせていただきたいと思います。

観音様について⑴では、

観音信仰の始まりについて、そして聖徳太子が饒速日命を観音像として祀ったのが観音信仰の始まりと学ばせていただきました。

そして観音様は、伊都能売大神様であり、国常立尊様、大物主大神様、饒速日命様に繋がりました。

観音様について⑵では、

仏教の真髄というものは、伊都能売之大御神様がお釈迦様に教えられたのが根本だということでした。

そして、本地垂迹というのは日本へ救いを垂れられるということであり、観音様が秘仏とされ阿弥陀釈迦の下位に甘んぜられたのは今迄が夜の世界であったからだということです。

観音様について⑶では、

伊都能売神様は、印度にて観音になられ、一方は兄の花姫尊(梅の花)となられて富士山に御鎮りになられ、又、 一方は金龍となって近江の国の琵琶湖へお隠れになられ、幾重にも御分霊なされておられます。

そして、国常立尊の妻神様である豊雲野尊様は木の花咲耶姫命になられて印度に行かれて釈迦となられたとのことで、お釈迦様は豊雲野尊様の御分霊となります。国常立尊(伊都能売神)と豊雲野尊(釈迦)となり、そのお釈迦様に伊都能売之神様が教えを垂れられたということで、歴史は二神の御分霊で幾重もなされておられるのが分かります。真実はシンプルですとお伝えさせて頂きました。

仏教が日本へ伝わったのは、朝鮮の百済からで538年説と552年説があるのですが現在では538年が通説のようです。

何故なら8世紀はじめに書かれた聖徳太子の伝記「上宮正徳法王帝説」(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)によると、欽明天皇の時代、戌午の年10月12日に、百済の王より仏像や経典を賜る、とあり戌午の干支は欽明天皇の治世以前で近い年が538年だからだそうです。

仏教の開祖がお釈迦様で(ゴータマ・シッタールダ)2500年頃前にインドで誕生とされています。

以前の仏教の開祖お釈迦様に書かせて頂きましたが歴史ではお釈迦様は月読の子孫サカ族(海洋民族)のシッタルダとされています。

その頃丁度伊都能売大神様がインドへ降られた時と御神書に書かれておりますが、歴史でいう仏教がインドで誕生したのと一致致します。

そして御神書によりますと、素戔嗚尊様が渡来され伊都能売大神様の地位を狙って犯そうとした為に急遽御位を棄てられたということが書かれております。

その時代から夜の時代(物質文化)に入った訳なのですが、明治二五年に大本教の出口なお氏の口を借りて国常立尊様が怒鳴った一声が、

「三千世界一度に開く梅の花、良の金神の世になりたぞよ。
梅で開いて松で治める神国になりたぞよ。
日本は神国。
この世は神がかまわなゆけぬ世であるぞよ。
竹は外国であるぞよ」といわれております。

これは約3000年経った現代がいよいよ昼の時代の転換期だと示しておられるのです。

そして今年10月は、更に本格的に神様が御発動なされる月でございまして、今後の事象を更に真剣に受け止めさせていただいて進ませて頂きたいと思っております。

浄化も厳しくなって参りますので何卒ご自愛ください。

どうぞよろしくお願いいたします。

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