夢のお告げと、生國魂神社へ導かれて
最近、中々ホームページをアップできなかったのですが、歴史を研鑽されている方々に読んでいただけているのでしょうか。
毎日、訪問数も増えているようです。ありがとうございます。
御神事が終わり、次に進ませて頂いております課題もあと少しで完成予定です。
今回も、歴史を全く知らない私が、神様からの事象によって分からせていただいたことをアップさせていただきたいと思います。
皆様もどうぞ、頭を白紙にしてお読みいただければ幸いです。
12月6日の朝、この画像が夢に出てきて、私は目が覚めました。

「谷町線??」
「クナトノ大神??」
何だろう……?
谷町線沿いに、クナトノ大神様が祀られている神社があるのだろうか――
不思議に思いながら起きたその日、参拝された方に聞いてみても、やはり「知らない」と。
しかし、その方が検索してくださり、携帯の画面に一つの神社が表示されました。
「ここではないですか?」
そう言われて示されたのが――
生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)
ご祭神は、国土の守護神である生島大神(いくしまのおおかみ)・足島大神(たるしまのおおかみ)。
ただ、「クナトノ大神様」とは書かれていないため、「違うのかなぁ……」と思いながらも調べてみると、関西最古、2700年の歴史を持つ神社であると知りました。
「ここしかない」と直感しましたが、何をどう調べたらいいか分からず、まずは自分なりに研鑽させていただきました。
この二神は平安時代から鎌倉時代に行われた『八十島祭(やそしままつり)』の主神であったとされています。
真弓常忠氏の「天香山と畝傍山」の本には、八十嶋祭は住吉に関係のある諸神を祭り、住吉神主が奉仕して行われた天皇御一代一度の大嘗祭の重儀に伴なう穢祓の御儀であったとされており、生島・足島大神と住吉神は深い繋がりがあると拝察されます。
神社の社伝によれば、初代・神武天皇が国土の平定と安泰を願い、石山崎(現在の大阪城付近)に、国土の守護神である生島大神・足島大神を祀ったのが始まりとされています。
八十島祭の主神で住吉神と関係がある大神様であられるということになります。
思い出された一冊『古代祭祀の探求』
2023年、奈良・吉野の丹生川上神社下社へ御神事へ行かせて頂いた際、宮司さんのお話をふと思い出しました。
その宮司さんがお話されていたのが、真弓常忠氏の著書『古代祭祀の探求』。
この本が、ふと頭に浮かんだのです。
天香具山の埴土、そして夢のお告げ
神武天皇が東征して大和(現在の奈良県)に入った際、なかなか朝敵を平定できなかったという史実があります。
しかし――
「天香具山の埴土を取り、焼き物を作って八百万の神々を祀れば、道が開かれる」
という夢のお告げがあり、それにより朝廷を平定できたという伝承があります。
埴使い(はにつかい)という重要な神事
この「埴土」に関わる神事が、現代にも続いていると知りました。
『古代祭祀の探求』によると、毎年2月と11月、住吉大社では「祈年祭」や「新嘗祭」に先立ち、祭事に使用する土器のための埴土を大和の畝傍山頂で採取する「埴使い(はにつかい)」という神事が行われているのです。
※真弓常忠氏は、昭和30年7月に住吉大社に奉職されていた方です。
なぜ天香具山ではなく、畝傍山に?
ここで私は疑問を持ちました。
「なぜ最初は天香具山の埴土だったのに、後に畝傍山に変わったのか?」
これは分からないのですが、現在はそうなっているみたいです。
しかし、ふと思い出したのが――
書籍「神秘の扉」に記載させて頂いておりますが、御神事のために天香山神社に行かせていただいた時、その場にて、サルタヒコ命様が、お出ましになられたのです。
御祭神は櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)です。この神様は、
「天香山と畝傍山」の本に、火の神のカグツチから生まれた鹿島神宮の武甕槌神で香具山に発祥したと考えられるとのこと。
鹿島神宮の社伝によれば、
「武甕槌神は天香山付近の誕生である」と言われています。
ということは、櫛真智命神は鹿島の神であり、サルタ彦命様がお出ましということは出雲神であると拝察される訳でございます。
鹿島神宮の御神事でもサルタ彦命様がお出ましになられました。
(詳しくは書籍をお読みください)
これは出雲の神、幸の神様を示唆しているのではないでしょうか。
雲名梯神社と事代主神へのおことわり
この埴土を採取するには、まず雲名梯(うなで)神社にて、「事代主神」におことわりをしなければならないようです。
住吉大社の神事においても、正副両使が畝傍に赴く途中、副使が雲名梯神社へ寄り、事代主神に承認を得るという流れになっています。
つまり、埴土は朝廷平定の証であり、それに関わる神様方への「おことわり」が必要なのです。
生島神=クナトノ大神?
生島魂神社の相殿には、大物主大神様が祀られています。
それもやはり出雲系の神様。おことわりが必要だったということは、その地の先の統治王であったからではないでしょうか。
そう思いましたが、神名が変わっているため、はっきりとした繋がりが分からずにいました。
しかし――
夢の画面で「クナトノ大神」というお告げを確かに見たのです。
確信はあるのですが、ネットで検索しても「生島神」がクナトノ大神様と繋がっているという情報は見つかりませんでした。
長野県・生島足島神社との共通点
しかし、調べる中で、長野県の生島足島神社にも、生島大神・足島大神が祀られていることが分かりました。
そして、そこでは建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)がそれらの神々を祀ったとされています。
建御名方富命様といえば、私の考察「菊理媛は観音様」に記した、事代主様と沼川姫の御子でございます。
つまり、祖先神であるクナトノ大神様であると拝察されるのです。
坂井洋一先生の著書に「確証」
でも、これもあくまで私の夢と考察。
歴史を知らない私には、断言することはできません。
そう思いながらも再び研鑽していた時――
私は、坂井洋一先生の『古代出雲王国』をふと手にとりました。
読み返していると、なんとそこに答えが書かれていたのです。
「天皇の宮中に祀られている“宮中八神”の中に、生産日神(イクムスビ)・足産日神(タルムスビ)があり、事代主の子・建御名方が、出雲王族の祖神であるクナト王・サイ姫・サルタ彦の三神を祀った生島足島神社の神である」と書かれていました。
やはり出雲の神であり、幸の神なのです。
坂井洋一先生には、数年前に実際にお会いさせていただいたことがあります。
古代史に詳しい、素晴らしい研究家です。
夢のお告げから、この神社のことを分からせていただいた――
そして、それが来年体現させていただく課題に繋がっているなんて。
関西にもクナトノ大神様を祀る神社があるのではないかと、内心ずっと思っておりましたが、大阪では見つからずにいました。
ですが、神様はやはり私の心を知っていてくださったのでしょう。
12月13日、誠の思いで御神事へ行かせていただきました。
当日は結納がされていたようです。「結び」という意味だと受け取らせて頂きました。
今回も、紛れもない事実でございます。
今年もあと僅かですが、1年はあっという間で一つ一つ積み重ねながらご教導賜り、コツコツと体現させていただいてきました。
目には見えない神様のお働きを可視化していく体現は本当に未知ですが、今までにない御神業に今年もなんとか進ませて頂き、感謝の日々でございました。
来年も更に力強く進ませて頂きたいと思います。

参考書籍(PR)
- 『天香山と畝火山』 真弓常忠 著
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- 『古代祭祀の探求』 真弓常忠 著
👉 https://amzn.to/3L4y66r - 『古代出雲王国』 坂井洋一 著
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。


