『名刀を光らすも曇らすも心がけ次第』の項
≪本文≫
本教もまだ初めのころですが、わたくしたちお側(そば)にお仕えしていた者も、明主様(メシヤ様)から治療(浄霊)をしていただきました。どんなにお忙しくても、よく憶(おぼ)えていて下さって、暇(ひま)な時に呼んでいただきました。
ところがお側の者の常として、だんだん慣(な)れっこになり、ちょっとした浄化でもお願いするようになりました。
そんなある日、みんな明主様(メシヤ様)に呼ばれました。そして、『おまえたちには、正宗(まさむね)の名刀を一振(ひとふ)りずつ渡してあるはずだ。曇らせるのも光らせるのも、おまえたちの心がけ次第だ』とお叱りを受けました。
それで、みんなも一変に恐縮(きょうしゅく)して、四、五日のあいだ、だれもお願いしませんでした。
すると、また、お呼出しがあって、みんな伺いますと、『おまえたちはブランコみたいだ。中庸(ちゅうよう)ということを知らない』とおっしゃってご浄霊をして下さいました。(側近奉仕者)
≪解説≫
これは浄霊について述べられていることは申すまでもありません。しかし、武具をはじめ刀などの収集はお嫌いになられたメシヤ様が何故その一つを引用されたのかが興味深いところです。
やはり『曇らせるのも光らせるのも、おまえたちの心がけ次第だ』ということを、当時の環境の中で最も判りやすいであろう、というご判断で引用されたと思われます。努力を怠ること、活用しないこと、を戒めるために鍛錬を必要とするものを引用されたものであろうと拝察できます。
また、生き神様的存在のお方のお側で生活することの難しさもあります。有り難いご存在であることは勿論ですが、有り難いが故に‘命じられるままにお勤めすればよい’という心構えがやがて、創意工夫を怠ることになってしまったり、臨機応変の姿勢を失うことを生じさせたりしてしまいます。
浄霊の思想を解説
「正宗」については『殺人剣、活人刀も想念から』というところでも、次のように解説されています。
『すべて名品といわれるものには、作者の霊がはいるものです。村正の刀が人をよく切るのは、作者が“人を切る刀を鋳(い)る”という想念で作ったからで、正宗は平和を愛した人で、“身を守る刀を作りたい”という想念で作ったのです。だから、自らそこに相違が出て来るわけです。この、身を守る想念が刀に入っているから、守り刀としてはすぐれているというわけです』
そして、左甚五郎の作品などに触れられた後、「それに続いて、ちょっと何気ないように、軽くつけ加えられて、『私が書く「おひかり」もそんなわけです。書く時に、“光でもって世の中の苦しみを救いたい”という神様の御心が、私の体を通じて、つまり霊がはいるんですね』と申されました」と記述されております。
神様の御心というものが何気なく示されているところが、最高位の神様らしいところですし、私たちが大いに注視しなければならないところです。“光でもって世の中の苦しみを救いたい”という御心。それが浄霊の思想であり、人類にとっての最大の恩恵です。
その御心を受けて自分達がどうあるべきかを組み立てねばなりません。『世の中の苦しみを救いたい』という御心が自分にも入ってきて広がっているのか、ということが重要です。また、心ができたということは行動に移していることです。そして行動とは、神様の御心、恩恵を活かしきるということです。
現在、メシヤ様のご神慮を賜わり「おひかり」を掛けずとも浄霊を取り次ぐことが許されるようになりました。この項で表わされた御心が更に進展拡充したことであり、さらに恩恵に浴することができるようになったことで、誠に感謝に堪えないところです。
伊都能売思想の構築
今回は、同じ刀を関連付けて考えさせていただきました。この他、「御垂示録」では、御神業というものは『抜き身の中にいて、スキがあったら切りつけられるという気持ちでなければならないのです。』とも述べられています。刀というものを通して、絶えず自分を磨いていくように御教えくださっているのです。
スキということでは、『いい気になってうぬぼれるな』の項と併せて考えさせていただくと、より肚に入るのではないでしょうか。
このように、拝読する場合、関連付けて受け止めさせていただくとより‘我が物’となります。各項が点として存在し、その点を結ぶと線になります。より多く線を結んでゆくと面になります。この面に時代背景を加味することにより思考が立体化します。これを体系化と言います。
その積み重ねによって、『伊都能売思想』というものを自分の中に構築することができるのです。今回は『中庸』ということも、実に平易にお説きくださっている旨述べられています。『伊都能売思想』の根幹ともいうべきことなので、意義深いところです。
また今回は、「慣れっこ」という反省の弁も綴られています。私達の日常生活でも充分起こり得ることです。肝に銘じておきたいものです。短文ながら、内容の濃い学びをさせていただきました。