想念の確立
浄霊力の強化が、菅谷さんご自身の節目と連動して進んできた内容の報告です。一つひとつの段階を経て想念の確立がなされ、浄霊力強化を誘った、と受け取らせていただける報告です。
これは「浄霊力伝授」の申し込みをせねば強化されない、ということや「入会」しなければ強化されない、という狭義で捉えるために紹介したものではありません。菅谷さんの想念の段階により形が整い、ステップアップの推移が解り易いために、紹介したのです。
明確にしていただきたいことは、メシヤ様のご神格の認識です。このことが極めて重要で、「おひかり」なしの浄霊に取り組む際も浄霊力強化を願う際も、このことが最重要課題なのです。宗教宗派を超えて浄霊力を伝授できるということにおいて、私がご啓示いただいた中で外してはならない唯一無二の要件なのです。
そして、メシヤ様との霊線を太くする営みとして、菅谷さんの体験は好事例だったのです。しかも、菅谷さんのステップアップに沿って、ご家族共々浄霊力の強化を許され、大きな恩恵に浴すことができているのです。
本来の信仰のあり方
また、ご本人が「本来の信仰のあり方を教えていただき・・・」と記述しておられますが、これは私が青年布教師時代に先達(教会長や支部長)の子息に聞き取り調査した内容とも重なります。
調査の結果、異口同音に述べたことは「初めて信仰に入ったことを実感したのは、家から急に家財道具が消えてゆき仏壇が届いた時だ」と、いうものでした。信仰ということについては、御神体がご奉斎された時ではないのですね。これは非常に重要なことなのです。
先程の御講話の中でも『当然のことをする人間を造る』というお言葉が随所に出てまいります。先祖供養などは人任せにせず、自分が誠を込めて執り行なうものなのです。救いの言霊である善言讃詞もいただいている訳ですから。そういう点では「祖霊祭祀」事業を展開している教団は、ともすると信徒が歩む道を踏み外しかねない状況を育んでいるのです。
菅谷さんは、まず仏壇を整理することを同時に取り組んだのです。また、菅谷さんは神慈秀明会時代に布教師(海外)の経験をお持ちなので、位牌への祖霊の遷霊の仕方などを身に付けていただきたいために、見本を示しながら教授することを兼ねて私が祭式を執り行ないました。
そのことで、菅谷家の懸案であった問題(問題解決を半ば投げ出していたこと)に光明が差してきたのです。これは立ち会った私も驚かされる事柄だっただけに、菅谷さん一家の喜び様は筆舌に尽くし難いほどのものでした。
そして、その喜びを拡げるように、私が見本を示しつつ教授した祖霊の遷霊式をお世話信徒家庭でも実践しつつあります。
過去の教団(メシヤ様を教祖と仰ぐ)の取り組みを批判するだけではなく、一つひとつ整えて差し上げねばならないと考えております。今後資格者へ仏壇設置方法や「遷霊詞」奏上方法を教授して、多くの方々が信仰生活の本来のあり方を歩むことができるように、努めたいと考えております。