宗教概論
世界の文化の中には様々な宗教の潮流がありますが、次のように諸宗教を大きく二つの類型に分けることができます。
1、自然宗教
2、創唱宗教
自然宗教は、自然発生的に現われて、特に教祖というものもなく成長してきた宗教を指します。原始宗教と言われるものは、これに属します。神道やユダヤ教、道教などもこの類型に属すると岸本英夫氏は解説しています。発生的には、その民族の原始文化の時代に発生し、民族的文化と共に成長しました。そして、その民族の文化が進展するにつれて洗練され、展開してきました。
それに対して、創唱宗教は、その形成が自然発生的ではありません。教祖の開いた宗教です。特定の創唱者が現われて、その創唱者の教えと人格を中心にして出来上がった宗教です。
また、宗教学の分野では今日まで様々な分類がなされました。宗教の伝播性から
1、部族宗教
2、民族宗教
3、世界宗教
とも分類されてきましたし、神観念の特徴からは
1、多神教
2、一神教
3、汎神教(はんしんきょう)
と分類されてきました。さらには本質的な性格を特徴的に捉えて
1、予言的宗教
2、神秘主義的宗教
などという分類も試みられました。これらは学術的な試みの一端ですが、要素という観点からは十を超える宗教の捉え方があります。ここでは自然宗教と創唱宗教の分類と御教えとの関連性について触れてゆきます。
そこで、「現代の文化形態は宗教の要素が遠心分離的に発展してきたもの」と説明した、「信仰読本」の「1、序―宗教について」を再読してみていただきたいのです。余りに簡潔明瞭に記述していますので重みを感じない人が割りと多いようですが、実は「考え方の原点」を提示しているのです。
古代の人間生活は宗教そのものでしたが、現代の文化形態というものは宗教のもつ要素が遠心分離的に発展してきたもの、と解釈できます。
例えば、リーダーの下に部族のしきたりが形成され、集落の運営や交易がなされていたものが現代では政治・経済という形で発展しています。祭りの神楽が芸能という形に発展し、祭りそのものはスポーツやレジャー、各種催しという形になっています。
祭事の呪具や呪器は芸術という形で、しきたりや言い伝えは法律や哲学、民俗学という形で、お呪(まじな)いや毒消しが科学や医学という形で、というように細分化し発展してきました。
ところが、発展した反面で、本来の宗教を現代社会は忘却しているのです。そのために、目覚ましい発展を遂げた科学技術を駆使して、現代人は便利さを享受している一方で、諸問題を抱えています。
大きな視座で捉えれば、温暖化に代表される環境問題や民族紛争は深刻さを増すばかりです。個々を取り巻く社会情勢は不安要素が目立ちます。これ等をはじめとする諸々の問題は、文化の根本にある本来の宗教を忘却したところに生じているのです。
『夜昼転換』という歴史観に基づく文化論
メシヤ様の説かれた御教えは、こうした宗教学を基盤とした論立て、筋立てであるのです。
それが『夜昼転換』の御教えに象徴的に表わされています。その意味で、僭越な表現ですが『夜昼転換』は実に奥の深い教えなのです。『夜昼転換』は歴史観であると共に、それに基づく文化論なのです。
自然宗教の中で秩序だった生活を営みつつ、人間の存在が洗練されてきた後、物質文明を進展させるために『夜の時代』となりました。そして、『夜の時代』の特徴は『悪主善従』でありますので、人類は堕落の一途を辿ります。堕落は滅亡を招きます。
そこで、『夜の時代』の到来と共に創唱宗教が生まれ、人類の良心を維持してまいりました。
メシヤ様の『宗教改革』の中でご指摘された内容は、自然宗教の源とも言うべき神代時代に対する覇権者によって塗り替えられた部分の指摘と歴史の真相の開示なのです。
また、物質文明を発展させる過渡期における創唱宗教の成り立ちの真相と明かされてこなかった真理の開示なのです。
そして、真文明創造の具現化論の展開です。
世俗社会の宗教
一方、宗教団体という限られた視点からは、世俗社会という社会変動過程において「伝統的な宗教的宇宙観や、制度としてあるいは制度的組織の立場からイデオロギー化された神話からの、人々の解放」という動きは決定的に見られ、結果的に分化を生ずることになります。
これは、世界救世(メシヤ)教が内紛を繰り返し、離脱教団を多く生み出した社会的背景としてあります。教団裏面史と合わせて、注視しておかねばならないところです。
それを各教団がどのように捉え、どのように分析するかによって、今後の方向性は決定されます。
メシヤ様もこの点について、ご論文によって解説を加えられているのですが、後継者が把握できておりません。社会変動とご論文を融合する取り組みがなされていないからです。
『科学迷信』という画期的なお言葉を述べておられるのですが、それが社会変動過程の中でどのように有意義なものであるのか、重大性すら気付いていないのです。これは、前述の「人々の解放」という見地に加えて、それを導いた科学にさえも『迷信』に陥ることに警鐘を鳴したのです。
メシヤ様のご精神を
1、利他愛
2、合理性
3、即時性
の三点から説明したことがあります。
神様という存在について『理屈に合えば愛ですが、合わなければどうにもなりません』とお述べになって、合理性を生活の中に取り入れるように強く求められました。
これは米国人的な要素を引き合いに出されたところが多分にあるのですが、ご昇天が50年も早まったために、以後は占領政策が形を変えて日本へ浸透してしまいました。巷間“自己責任”が取り沙汰されていますが、それは、ともすると自分中心の心を作り、自分中心の在り方を当然とする風潮を生じさせます。
また、即時性は「瞬時」という言葉で現代に根付いていますが、情報を得る場合や仕事上の対応の仕方に偏っています。自らの日常生活に定着する形ではないために、自分中心のあり方が加速度的に進み、家族の繋がりを弱くすると共に、両性の境界を弱くしています。
それらが今日の時代苦を形をもって現われる、人々の抱える問題の根っ子にあります。ここが私達が救いの手を掛け、御光を当ててゆくポイントなのです。
「世界救世(メシヤ)教」復興事業推進とは、以上のような宗教に関する二つの観点から取り組むことであると共に、時代苦の根っ子にメシヤ様の御光を当ててゆく取り組みなのです。