『世界救世(メシヤ)教早わかり』ご発表の背景
現在、掲載しております『世界救世(メシヤ)教早わかり』の日付を見ますと、昭和25年の11月20日です。この日付からメシヤ様の『可能な限り全人類を救う』『地上天国を建設する』というご悲願に対するご決意とご情熱を強く感じます。そうして、内外に世界救世(メシヤ)教開教に対する神意の理解を強く願っておられる御心が拝察されます。
昭和25年2月4日、『開教の辞』において『時期の推移に従って漸次発表する』と述べられており、その出発点として、同年3月11日に『世界救世(メシヤ)教 教義』をご発表になっております。
ところが2月18日に『救世(メシヤ)教の名に就て』をご発表になっており、名称についてご説明を重ねております。このことから推察されることは、当時「開教」の意味するところを理解できない人が多かったのではないか、ということです。そして、そのことが5月のご法難という形になって現われてしまったのです。
もっとも、開教直前に不幸な出来事が起きたことも事実です。天国会を主宰していた中島一斎師が開教五日前に他界されたのです。
中島師は、大本教時代にメシヤ様と出会い「この御方に自分の人生の全てを捧げて付いて行く」という決意を固められ、共に大本教を離れたほどの先達です。また、晩年には、大本教を離れることの出来ない二代様を諌める挙にも出ております。そのような偉大な先達を失ったが故に勃発したご法難であったことを、そのお孫さんと出会ってご帰幽年月日などを再確認する中で整理することができました。
いかにも人間的な事件であり、「世界救世(メシヤ)教の開教」に対する認識の薄さがもたらした悲しい事件でした。最も残念なことは、ご法難が発端となりメシヤ様が御神業における様々な制約を強いられることになったことです。そのために、『開教の辞』における『未だ種々発表したい事もあるが、時期の推移に従って漸次発表する段取となるので、今は此(この)辺に止めておくのである』という内容のご発表が頓挫してしまったのです。
しかしながら、様々なご制約の中で同年11月にこうして御論文を発表されているのです。このご論文をそうした背景を鑑みた上で拝読させていただきますと、より肉薄してくるものがあります。
偉大なる神霊を明かす
ご論文冒頭の「はしがき」において、『何しろ本教は今迄の宗教とは余程異っており、既成宗教観念では一寸判り難いと共に其(その)点に本教の大いなる意味を見出すのである。早く言えば、今迄と余り異いがない宗教とすれば、発生の必要はないからである。』と述べられております。
これは世人に訴えていると共に、教団人取り分け教団幹部に理解してもらいたい御心なのだと受け止めることが相当だと思われます。メシヤ様ご在世中のご日常を拝しますと、国内外の情勢をつぶさに掌握されるために新聞、ラジオに耳目を傾けられると共に、日々学びを深められるために専門書に触れられております。その学びとは、以下の表現で手に取るように判らせていただきます。
『成程、真理そのものは未来永劫不変であるが、宗教自体の在り方としては、時代即応でなければならないのみか、寧ろ時代の指導的役割をするのが本当であろう。』
また、祭式や浄霊をどのようにお考えになっていたかを拝察する上では、次の文章が礎となります。
『本教は、元来神道に非ず仏教にも非ず、勿論キリスト教でもないと共に、本教には神仏基の何れもが包含されているばかりか、科学も本教の中に在って、而(しか)も現代科学よりも数段進んでいる。此(この)様に凡ゆる文化は悉く内在しているのが特異性である。』
この部分を基に、天津祝詞の由来や善言讃詞作成の御心を求めれば、祭式をどのように整えるかがわかります。2月のメシヤ講座では詳細に渉って説明したところです。
そして、はしがきの総括として世界救世(メシヤ)教を加護するご神霊に触れられております。
『そうして本教は一切の誤謬を是正し、よりよき文化たらしめ病貧争絶無の世界たる、地上天国を造らんとするのである。此(この)様な空前の大目標を掲げて、其(その)可能を確信するというのであるから、先づ世紀の驚異といってもよかろう。併し乍(なが)ら此(この)様な救世の大事業は、到底人間力で出来るものではない。としたら茲(ここ)に偉大なる神霊が本教を加護されている事を、信じない訳にはいかないであろう。』
この文章を受けて、2月掲載の『本教の誕生』において明確に主宰神を明かされているのです。
『では最高神とは何ぞやというと、主神に外ならないのである。』
これが、『世界救世(メシヤ)教 教義』の冒頭に明記されているご神名なのです。昭和25年に教団人はこのことを自覚しなければならなかったにもかかわらず、『御神体も御守りも或時期まではそのままで差支えない』とされたことを多くの教団で今日まで引っ張ってきてしまったのです。
そして主神様のご経綸を担わせていただく上で認識しなければならないことを、以下のようにお述べになっておられます。
『主神の御目的は真善美完き理想世界を造るにあるので、それには凡べての条件が具備しなければならないので、神は其(その)時を待たれ給うたのである。其(その)時とは即ち現在であってみれば、人類は此事を先づ認識しなければならないと共に、自己自身の精神革命こそ喫緊時である』
時代認識と精神革命の自覚、実行を求められているのです。