絶対性を認識させていただけるメシヤ様との繋がり
昨日も霊現象の激しい方と面談をしたのですけども、どうしてもですね、理解できていないのは霊障を受けるという概念を自ら持ってしまうということです。これは人間という存在を実は解っていないところから来るのです。人間という存在の偉大さを認識していない、ということになってくる訳です。
何故かと言いますと、例えば、日本の「家」というのは50年経っても100年経っても人が住み続ければ朽ちません。しかし、空家にしていると酷い時は10年くらいで屋根がごそっと落ちてきます。
人間が住んでいることによって家というのは100年でも500年でも存在し続ける。これは御教えにありますように、人間の霊気を吸収して家というのは生命力を保っているのです。
こうしたことに思いを向けてみると、家を維持することができる程、人間というのは実はとてつもなく素晴らしい存在なのだということです。木造が主体ですが、それだけの物を生かし続ける霊力というのを人間というのは発散し続けているのです。
それだけ素晴らしい存在なのに霊障ということが何故起きるかと言いますと、これは自覚の問題です。人間はそれだけの素晴らしい霊力を発散しているのだという意識が薄れた時に影響を受けてきます。(最初から自覚してない場合が多いのですが・・・。)
しかも霊障というのはいろんな想いが寄ってくる時に動物霊に乗っかってくる場合が多い訳です。乗っかてきた動物霊にやられるということは人間性が弱くなっているのです。
昨日は、かなり長い時間そういうことを繰り返し繰り返しお話しすることによって、そういうことが認識できたために霊障を乗り越えることができるようになりました。(そして、その根底に歪な親子関係が内在しており、無意識のうちに精神の癖が浮き出てくるということの認識ができ、修復への在り方が自覚されました。また、動物霊の影響を受けないための、清掃をはじめとする生活上の心得を確認し、取り組みの方向性が明確になりました。そして、浄霊をいただくことは勿論のこと、実践を継続するための御力をいただくために支部の月次祭へ参拝をすることも約束し、道が開かれたのです。)
これは、人間という存在がこの地球の中で38億年の時間の経過を経て、最後に完璧な存在として出てきたからこそ、素晴らしい力を持っているということです。
そういう認識をするための知識を学校教育とかあるいは科学的な文献によって自分達は得てきてはいるのですけども、自分の思考の中で構築しなおすという作業をしていないために、どうしても霊現象に影響を受けるような人間になってしまっているということなのです。
ですから、絶対性を認識させていただけるメシヤ様という御存在に繋がることができた私達は、人間としての存在というものをより高いものにしてゆくという作業を日々の生活の中で進めていただきたいのです。実はこれが信仰生活なのだということです。
神様に祈ったりしていることのみが信仰生活ではなくて、神様から教えられたことを日常生活の中で整理してゆく。自分はどういう生き方をしていったらよいかということを組み立ててゆくことが実は信仰生活なのだ、ということを今日の機会に新たに持っていただけますと、この「記念式典」がさらに意義あるものとなってまいります。