高い概念の構築とそれを裏付ける奇蹟
4月は、アメリカ布教の変遷を詳しくご存じの方と交流があり、布教に取り組んだ先達の情熱と工夫を知ることができました。三重支部でアメリカ在住の方へ浄霊力伝授が許されたこともあり、以下のような問答がありました。
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(質問者) キリスト教の思想が根強い国での布教は難しいのでしょうか。
(先生) キリスト教信者にとってはイエスキリストがメシヤ様ですからね。メシヤ様とお呼びすることに抵抗感があると思います。イエスキリストがいう天の父という存在が主神様であるとそういう説き方が良いかもしれません。向こうの信仰の構造を考えて行かないとね。キリスト教には、日本人では及ばないような積み上げてきた信仰の歴史があるからね。そして一神教ですしね。日本人のように八百万(やおよろず)の神様という認識があればよいのですが、唯一の神様という考え方ですからね。
(質問者) メシヤ様が天の父であるという考え方は・・
(先生) ですからイエスキリストより偉い人間がいたという考え方は向こうでは受け入れられないからね。ですから人としてメシヤ様というとイエスキリストとどこまでも対立してしまうからね。主神様ということを前面に出して話をして行った方が良いと思っています。ですから浄霊とかメシヤ様という名前とか御教えにとらわれ過ぎるとうまくいかないと思います。新しい絶対の概念というものを相手に与えてあげないとね。
ですから、私達が現在「主之大御神守り給え幸倍給え」と唱えさせて頂いていることが、そういったことを切り開いていくのだと。皆様方の祈りによって切り開かれていくのだと思います。これが「みろく大御神守り給え幸倍給え」ではキリスト対みろくの闘いになってしまいます。世界が持っている概念からいくと、みろくはどこまでも仏教から出て来た言葉だということになるからね。どうしても対立的になってしまいます。ですからその上の皆がまだ概念としてきちんと存在を認識していない、主神様の御存在ということを明らかにして行かないといけません。また、質問されたときにその概念を裏付ける絶対の真理としての浄霊の奇蹟。ここまで奇蹟が出ているのだという高い概念を示さないとアメリカ人は変えて行けません。
アメリカの○○さん(浄霊力を拝受された方)が、メシヤ様という御存在をいつも心に持っていて頂けると見えない世界でメシヤ様と繋がって下さいますからね。そうしていくとアメリカの霊界が形作られていくのではないかなあ、と思います。こういうことをやっていかないと世界救世(メシヤ)教になっていかないからね。地上天国建設に繋げて行かないとね。それにはこういう高い概念を構築して、そして実証していくしかありません。アメリカで実証されれば世界に通用していきますからね。
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ところが、アメリカ布教の初期では、「当時ユダヤ教の方が浄霊の教師になられたとか、キリスト教の方もおられたようです。こちらではローズプレイヤーというキリスト教のお祈り『天にまします我等の父よ・・・。』という祈りを天津祝詞の後にしますから、キリスト教関係には大変強く配慮されていたと思います。」という時代があったそうです。
しかしながら、肝腎の本部側が『天の父』に対する概念の構築に欠けているために、本部方針としてアメリカ布教を考えた時に結果的にメシヤ様の御教えからずれたことを強要してしまったのです。しかも教団紛争からは、派閥の触手が伸ばされた結果混乱が生じてしまっているようです。
アメリカ布教に詳しい方の話から、先達の創意工夫の跡を感じさせられるものでしたが、本部側が御教えよりも組織論を前面に出して対応しているために、冒頭述べました『宗教の進歩』ということに繋がらない結果を招いてしまっているのです。
このことに関連して、『文明の創造』の作業を担っている三重支部からのメールのやり取りの中で次の部分を抜粋してくれました。
【御教え】
『そうして驚くべき事は邪神界の総頭領は、今から二千数百年前、世界の覇権を握るべく、周到綿密にして永遠な計画を立て、現在迄暗躍を続けつつあるが、正神界の方でも之に対立し戦ってゐるのである。其(その)神としてはキリスト、釈迦、マホメット、国常立尊の系統の神である。以上の如く主神は正神と邪神とを対立させ闘争させつつ文化を進めて来たのであるが、其(その)結果遂に邪神の方が九分九厘迄勝ったのが現在であって、茲(ここ)に主神は愈々(いよいよ)一厘の力を顕現され、彼等の大計画を一挙に転覆させ給ふ、之が九分九厘と一厘の闘ひであって、今や其(その)一歩手前に迄来たのである。』
この部分の御教えを拝読した時に、御教えの95%が閲覧禁止になっていた時期が長いだけに勘違いした神観を持ってしまっている、ということを改めて感じさせられました。そのために国内の布教は勿論、世界布教も一部での成功に留まっているのです。その意味から、御論文『文明の創造』を仕上げる作業は、大いなる意義が幾重にもあります。
「はじめに」でも述べましたように、御論文『文明の創造』を仕上げるという大事業に寄与されることを重ねて願うものです。