十字架の型を通して自覚せねばならないこと

今、世界で大体7億人から8億人位の非常にまじめな信者さん、それからそれを取り巻く信者さんによってキリスト教(統計では20億人余)は成立しておりますけれども、このイエス・キリストが何故十字架にかかったかというと、これは人類を代表して主神様に、いわゆるお詫びをしたということ、このお詫びは何かというとずっと、この『文明の創造』の中に書かれておりますように『禁断の木の実に手を出した』ことから悪が発生したことへのお詫びであります。

このお詫びをイエス・キリストがまず二千年前にした訳なんですけれども、しかし、まだ物質文明の発展がその時には十分ではなかったので、ずっと続いております。メシヤ様が御出現になられて、そして御神業は進展しましたが、その中でまた薬に手を出していくということを繰り返してきております。これがしつこい程、目覚めた人に対しても再度下からずっと引っ張るようなことをやり続けております。だから、目覚めてもちょっと油断すると、ずっとそちらへ引き込まれるようなことを、いつも我々は狙われています。

真理が解明されて、各宗がステップアップを図るように導くのが御神業

それからもう一つは、お釈迦様のことに今回触れていただいていますが、お釈迦様がどうして悟りを開くことができたかというと、これは日本の神様である伊都能売神皇様がインドへ降って行かれて、そして布咀落迦山(ほだらかさんという所で結跏趺座(けっかふざ)されているところへお釈迦様が訪ねてきて教えを請います。そして、仏法というものをお説教の中から積み上げてきて、72歳の時に見真実に達せられて、さらに真理を説き始めたという経過があります。

こういうことを考えてゆくと、出雲支部でお話した入会の概念と同様に、他の教団からメシヤ教に移るのではない、世界救世(メシヤ)教の御神業に皆ステップアップするんだという取り組みと同じで、釈迦の説法からこう来るのとキリストの教えからずっと来たのを、(ピラミット型の斜面の中腹という)その中で解き明かせなかった内容をメシヤ様によって解き明かしていただいたので、仏教からもキリスト教からも、この世界救世(メシヤ)教にステップアップしていただくという想念を確立していかないと、色んな宗教の方々に声を掛ける掛け方が変わってきます。

低いレベルで声を掛けてしまうことのないようにしていただきたい、と願っております。「素晴らしい浄霊というものがあるよ」ということはどこまでも入り口であって、本来の意味をその人達に伝えてゆかねばなりません。メシヤ様が主神様から御啓示をいただいたものを我々に提供して下さっています。そうであるからこそ、この世界救世(メシヤ)教の御神業というところへ皆を繋ぐために布教というのはある訳なので、そうした想念を確立しながら御神業に臨んでいただければ大変ありがたいと思います。

そういう意味でゆくと、布教とか御神業を担う時にお願いしたいことがあります。「信仰読本」を中心になる方が読んで、その内容をもう一度自分の腹の中に入れていただきたい、ということです。宗教とはいったい何が役目か、というと・・・。薬毒のない時代に人類が育んできた美しい心とか、それから人生というのは非常に不思議なものなんだと、ある存在から導かれる中で良い方向に人生というものは展開していくんだと、それから自分で考えたものよりも、より深いものが人生なんだと、そういうことが感じられるようなことを、薬毒が出てくるまではずっと人類は約600万年位かけて育ててきた訳ですね。

脳細胞の分裂が非常に細かくなってくるのと同時に、精神が育っていって、そして言葉が生まれてきて、その言葉によってさらに思考するようになって、この思考によって人生というものをそういうように考えられるようになってきました。

ところが、薬毒によって、美しいもの、素晴らしいものよりも、実利的なもの、直ぐ解決するもの、奥深さよりも即効性と、そういうものを求めるようになって、約二、千年間を歩んで来ました。

そのために、本来根っこにあった宗教というものを現代人は忘れてしまって、宗教と言うといわゆる宗教団体を連想してしまいまして、本来の宗教というものを理解できない状態で現代人は、精神活動をしています。

 

平成23年8月メシヤ講座より

 

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