「『仏滅と五六七の世』文明の創造」(昭和二十七年)
「『仏滅と五六七の世』文明の創造」(昭和二十七年)
本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』38ページに記載されています。
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【メシヤ講座 三重支部】
『発光体である魂』を更に輝かせる取り組みを
楳木代表
ありがとうございました。それではお取り次ぎをさせて頂きたいと思います。
先月この三重支部も御神床が新たになって、正式な御遷座祭を執り行わせて頂いて、その時にお話をさせて頂いたことと、それから全国でメシヤ講座をズーッと開催しながら進めさせて頂く中では、今支部長代理から報告して頂いた事と関連する事なんですが、先月学んだ中で私たちの本守護霊というのは、一種の発光体であるというように書かれておりました。それは35ページ8行目にですね、『本来魂なるものは一種の発光体であって』ということなので、私たちの日常生活というのはこの『発光体である魂』が更に発光体となって行くことを目指すことによって副守護霊(動物霊)の影響を受けなくなる、ということであります。私たちの日常生活の信仰というのは一体何かというと、この“発光体を維持する”という、或いは更に“発光体としての魂を輝かせ続ける”ということを目指すというのが実は信仰生活であるのだ、という事を皆さんと確認させて頂きました。
それからまた、ページが少し遡るのですが、33ページの『第一に宿った魂こそ本守護霊と言ひ、神性そのものであり、之こそ良心である。』という事でありますので、我々の魂は神様の分霊(わけみたま)という表現をずっと使ってきたのですけれど、実は私たちの魂は『神性そのもの』なのだという事です。『神性そのもの』なのですけれど、3000年間の『夜の時代』の影響を受けて、この『神性』が薄れてしまった訳なんですね。だから支部長代理が報告をして頂いたような洗練するという内容というのは、この本来のこの『神性』が蘇るという事である訳なのです。私たちの信仰が・・・、どうしても組織的にずっと運営されて来た為に、肝心要の魂という『発光体』を一層輝かせていくという取り組みとか、『神性』を蘇らせるという取り組みが疎かになってしまった面があります。信者の皆様方には「旧世界救世(きゅうせい)教時代には本来の信仰の在り方を十分お取り次ぎする事が出来なかったので、みんなが幸福に包まれて行くという所までは行けなくて、これが大変申し訳なかった。」事であると共に、これからは本来のこうした事をもう一度しっかりやらせて頂くという事で、今メシヤ教は世界救世(メシヤ)教をもう一回復興しようと取り組んでいる訳ですね。
先達がこれからドンドン動く
楳木代表
もうひとつ、私は先達に対して文句を言ったんだね。「『メシヤ様』という生きた神様を間近で見ているのに、何でもうちょっとちゃんとした御神業をやらなかったんだろうか!」と。大変申し訳ないけれど、偉い先達の先生方に対しても、“なんでもうちょっとしっかりやってくれなかったんかなあ”と思ったら、それが矢張り今日拝読した40ページの最後の行
『そうして真如といふ文字は、真の如しとかくのであるから、真ではない訳で、此点もよく考へなくてはならない。』
とあります。それと関連して『この影響がまだ残っていたのだ。だから、真理を説かれてもその神性がまだ真如の世界だったので、だからどうしてもみんな神性が眠っている状態であったので、できないというのがあったのだ。だからお前、そこまで責めるな!』と言われて(笑)。いや責めている訳ではないのだけれど(笑)、もうちょっとちゃんとした事を残しといてくれてたら、我々がこんなに苦労しなかったし、信者さん方も苦労せずに済んだんじゃないか、と思って、その気持ちをぶつけてみたのです。そうしましたら
『そういう時代だったんだから、仕方ないんだ。』と。
『しかし、今霊界に行って先達は気付き始めている。』と。
『だから今神様もぐーっと動いているけど、先達がこれからドンドン動くから、色んな所の人たちが集まってくるので、集まって来た時に、そうした癖を持って集まって来るので、そういう事は大きな気持ちで受け入れて貰いたい。』と。
『それから、様々な能力とか特性を持っている人が集まってくるので、一見理解できないような、そういう特性を持って集まってくる人もこれから出て来るので、その時に余りドギマギしないように。』
という事であるので、やっぱり、洗練していていかないとそういうことは出来ない事なのでね、支部長代理は大変ですけど、みんなをリードして行って頂ければ大変有難いなあ、と思います。
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【メシヤ講座 浜松支部】
霊性が高まると起きてくる慶事
これから、私達一人ひとりがさらに覚りを啓いて霊性が高まってくると、そうすると、そうした人達が皆さん方の霊線の繋がりの中で連絡をしてきます。「最近○○さんどうしているの?」とか、「○○ちゃんどうしているの?」とか言って繋がってくるので、その為には私達が高まっていかない限りそういうことが許されていきません。まあ、そういう意味で、先程この○○さんが配ってくれた中に書いています。大体浄化のところを○○さんに読んでいただいたけど、その下に
「それが、9月度に取り次いだ、『第一に宿った魂こそ本守護霊と言ひ、神性そのものであり、之こそ良心でもある。』(33ページ7行目)ということから、“神性を蘇らせる”ということであり、『本来の魂なるものは一種の発光体であって、』(35ページ8行目)ということから“発光体としての輝きを増す”ということ」
というふうにお話をしました。
これは先月学んだことですので、我々の魂は主神様の分け御霊として魂が我々の中心に宿っているので、これが神性そのものなのだ、と。しかし、これは神性そのものなのですが、三千年間の『夜の時代』の中で、この神性の周りに曇りがずっと溜まってきているということです。だから、本来の神性が発揮されてないために、時々変な行動に出たりとか変な言葉を吐いたりしてしまう訳なのですね。
それから、その魂自体は神様の分け御霊なので神様ほど輝かないけれども、我々の魂は本来発光体なので輝いている訳なのです。しかし、これも三千年来の『夜の時代』の罪穢れで周りが覆われているので光りが薄まっている訳です。この、光っていない分、我々の副守護霊の動物霊が顔を出してくるので余計なことを言ってしまったり、カーッときたりとか、それが○○さんね、お母さんのことを一生懸命お世話しているのにちょっとした言葉で「お前は冷たいやつだなぁ。」とか言われる訳です。
受講者
どうして知っているの?
神性を蘇らせるための浄霊を
楳木代表
その、言われるということはどうしても発光体の光が弱いので、それで動物霊がそういう口を衝(つ)いて出てくる訳です。
だから、その本体である魂を浄めるしかないので、今、ご主人がこうきちんと座って浄霊いただかなければ、寝ている時に魂を良く浄霊するように。どうしても我々は体の悪いところがあると、体の悪いところを中心に浄霊して“早く良くなればいいなぁ”とか“元気になればいいなぁ”と思って浄霊しますが、先月拝読をした御教えからいくと、この魂が本来の神性を取り戻して発光体になることが本当の中心なので、浄霊というのはそのために浄霊をして、そしてそれから悪いところも良くなるように、という浄霊をしないといけないのだ、と。
霊の曇りは重みとなって霊籍を下げる
古い方は入信教修のときに、幸不幸は霊界の魂が高いところに位置すれば幸せですが、それが下の方に行くと悲喜こもごもで、つらい思いをすることがあるという話を聞いたことを思い出していただきたいと思います。その魂、霊界にある魂を「幽魂」と言います。我々の身体にある魂を「現魂」と。そして “「幽魂」はどうしたら上がっていけるのか”というと、霊の曇りがなくなっていけば上がっていけます。それは何故かというと霊の曇りは重みとなって霊籍が下がっていくので、それで「現魂」、我々の魂に反映してくるのです。
だから、浄まらなければいけないので、『霊主体従の法則』で浄まるためには《心言行》を正していくということです。そうすることによって魂の曇りがとれてあがっていくということです。しかし『霊体一致の法則』でいうと、まず薬を服んでいくと下降していくということです。血液が汚れるので。血液が汚れると霊に曇りが発生するのでその重みで下がっていく、と。その次に添加物や化学肥料、農薬が入るとそれも血液が汚れるので、霊に曇りが発生し、また下降していきます。
ですから、先月お話ししたように、北海道の方に今年3つも台風が上陸し、農作物に大変な被害を受けたけれども、これはいつまで経っても日本人の身体を汚すような生産方法をずっとやっているので、気付かせるための大浄化だったのだというふうに受け止めていけば、自然栽培をやっていこうという動きになっていくのではないか、ということが言える訳です。
それから、豊洲市場の件にしても、生鮮食品を扱ったり、野菜や果物を扱ったりするところの下の土壌のことをあれほど不充分なままに建物を建てるという、そういうことをしてしまっている現状を正すために、猪瀬、舛添という知事を辞めさせて、小池という知事にした、という大掛かりな改革を主神様がなされたというふうに受け止めていけば、そうしたことを改革していく、そういう時期を迎えているということであります。それを受けると、我々の生活も改革をしていかないといけないので、少なくとも買ってくるものが添加物だらけのものだったら、「今日は添加物だらけだから、自然農法のお米だけで夕食にしましょう。」というように思い切った改革をしていかない限り、我々の身体は汚れ続けているということです。
身体が汚れ続けているということは『霊体一致の法則』で魂に曇りが発生して、どんどん下降してしまうということになりますので、そういうことで、私達は生活の改革に一層取り組んでいかなくてはいけないということを、神様からは迫られているというふうに受け止めていって、覚りを啓くためには、「そういうことも大事ですよ。」ということをこの文章から理解いただければ大変ありがたいと思います。
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【メシヤ講座 鎌倉支部】
人間に与えられた自由に基づいて御神業も進められる
話が途上国の話になりましたけれども、地上天国祭から、私たちは御教えを拝読しながら自分たちの霊性を高めていこうということで、継続しながら、先月から今月、今月から来月ということで整理しながら進ませていただきたいとお願いしつつ、私も十分伝えきれていなかったことを、様々、神界から注意を受けたので・・・、私もちょっと流石に神界に対して腹が立つというか、不遜な感情が起きたのですけれども、「いや、メシヤ様が、御出現されて、いづのめ教団の前進である新生時代にですね。その当時の改革派の人たちによって、岡田茂吉全集を作るくらいの御教えがあるにも拘わらず、その先達の先生方が、「何故信者さん方にもっと生活上のお世話に取り組んでくれなかったのか?」と・・・。また、そういうところを「何故もっと神界から細かく御指示を出してくれなかったのか?」、「それはちょっと手落ちじゃないですか?」ということを、その時不遜ながらも、「一日祭」に申し上げたのですが、そしたら即刻、また御垂示が届きました。
『そうすると強制することになる。』
と。御教えを渡して、その中から、それぞれが気づいたことからこの世の中を変えていこうという動きになれば良かったけれども、その先達も、その三千年来の罪穢れのその中にどっぷり浸かってきた部分があるので、『神性が蘇っていないというところがあったので仕方がなかったのだ。』と御解説いただきました。『だからこれ以上先達を責めるな。』と。私も責めているわけではないのだけれども、「もうちょっと何とかしてくれたら良かったと思うのですよ。」と伝えたのですけれども・・・。
結局は、それは何かと言うと、一番古い方で、昭和20年代に御守りをいただいた方もいらっしゃるし、最近入会してきた方もおられますが、入信教修の時に、話を聞きますが、我々の体には「霊体」が充満していて、その中に「心」があって、その中心に更に「魂」があります。この魂のことを「現魂」と言います。その現魂と繋がっている「幽魂」が霊籍を得ており、それが向上すれば非常に恵まれてくるけれども、下降すれば悲喜交々の生活になってくるのだ、と聞いたことを思い出してください。この「幽魂」が高まるか、高まらないかというのは、霊の曇りが多くなってくると、重みで下がってくるし、曇りが取れていくと「幽魂」は軽くなって上昇するので霊籍が上がってくるわけなのです。しかし、それは、『どっちを選ぶかは“人間の自由”として与えているのだ。』というふうにメシヤ様は仰っておられます。
それで、先月学んだように、『向上すれば神の如く、堕落すれば獣の如く』とそういうことに繋がっていきます。そして、どっちを選ぼうとも『人間の自由』なので、これが人間に与られている『最大の自由』なので、私も忘れていたわけではないのですけれども、御神業もこの『人間の自由』の中で進めておられるのだな、ということを、神界からの御垂示でまたつくづく腹に落とさせていただきました。
ですから、こうしてメシヤ教として学びをさせていただくのですけれども、向上するのも、足踏みするのも自由ですので・・・、ですけれど、できれば高まっていく方を目指していただきたいので、今後もより霊性が高まる方向にお話をさせていただきたいと思っております。
高まる上においては、先月学んだ中ではP.33の7行目に『第一に宿った魂こそ本守護霊といい、神性そのものであり、之こそ良心でもある。』というふうに書かれておりますので、“神性そのものを蘇らせるというのが、私たちの信仰生活なのだ”ということが一つ言えるかと思います。ですから魂だけを見つめていると、あまりわからないのですが、主神様の分御霊(わけみたま)を頂いている、その魂ですから『神性そのもの』なのだ、ということです。
そして、P.35の8行目には『本来魂なるものは、一種の発光体であって、』と書かれておりますので、魂は発光体なのだ、と。発光体の光が更に増して来ると結局動物霊である副守護霊が萎縮するので、いつも行いは全て善に繋がって行くのだけれども、様々なことで曇っていくと、動物霊に操られてしまい、よからぬ心言行になったり、あるいは、怠惰な人間になったりするわけです。私たちの日常生活は、この発光体としての魂を輝かせることが信仰させて頂く目的なのだ、と先月は学びましたので、今月は更に高まっていく上に置いて、支部長代理が、「非常に短い御論文だけれども大事なことが書かれている。」ということを発表してくれました。善言讃詞を奏上する時に、仏教では、それを逆にしていた、それは意味がわからなかったのでそういうふうにしていたのですけれども、メシヤ様は善言讃詞をお作りになる時に、この順序を整える意味で『大千三千世界』としたのだ、と。ということになってくると善言讃詞を奏上する時にも、よりそうした順序を整えていくという、そういう思いで善言讃詞を奏上させていただくと、更にこの言霊の威力をいただけるかと思います。