キリスト教とイスラム教

キリスト教

楳木代表

キリスト教は、本来は「天の父」を信仰する教団な訳ですね。皆は十字架をお祈りしています。而も十字架を良く見るとイエス・キリストは、この掌に杭を打たれています。十字架に杭を両手に打ち込まれて、そして足首にも杭を打ち込まれています。そういう像を見た瞬間に、普通人間は直ぐ杭を取ろうという動きに出る筈なのですよね。しかし、『文明の創造』の『キリスト教と善悪』という所に書かれている通りのことが生じております。だからキリスト教を見るとその杭を刺されたイエス・キリストをお祈りする時に、正しいお祈りをしているのですけれども、正しい方向に動くと、今の様な非常に便利な物質世界を造り上げてくる方に動く訳です。しかし、悪い方に動くと、十字軍の様に「自分たちは正しいのだ。」と、「異教徒は正しくないのだ。」という事で征服をして行きます。征服して行った証しが、今のイギリスの大英博物館に展示している内容です。あれは全部戦利品ですので、パレスチナとかアラブ諸国を全部制圧して行った時に、全て収集して来た物が大英博物館に飾ってある訳です。良い方向に動くと人類を幸せにするような物を造り出して行くのだけれども、悪い方向に行くと戦争で支配して行くという事に動いて行きます。キリスト教の世界は、そういう両極端に割れている訳です。

 

イスラム教

楳木代表

だから、之はおかしいという事に気付いたのがマホメットです。マホメットは天の父にお祈りしている時に、アラーの神として御啓示を頂いて、『人間というのはそんなに強い存在ではない。正しい存在ではないのだ。そこを分からないといけない。弱い人間なのだ。』という事で、御啓示をマホメットは受けて、イスラム教を造った訳ですね。イスラム教を造った時の象徴は何かというと、女性の服装ですね。目だけ出して後は全部覆い隠せという戒律を、一番分かりやすいのでそれを説明しますけれど・・・。何故そういうふうにしたかというと、男は弱い存在なので、女性の悩ましい色っぽい所を見ると襲いたくなる、自分のものにしたくなる、という男の弱さがあるので、弱さが出ない為にそういう肌を隠すという戒律が生まれて来ている。日本などとは違い、イスラム世界では、女性はそういうように隠さないといけない。しかし今、女性達は何とか世界の女性と同じような状態にしようという事でシュプレヒコールを上げて、女性の権利を取り戻そうとか、服装も自由にして行こうとかいう動きをしているけど、之はイスラム教徒としてはおかしい事な訳です。男性が弱いから肌を出していけないというふうな戒律なので、男性が強くなれば良いので、強いというのは力ではなくて、精神的に強くなれば、いくら女性の悩ましい曲線美を見たとしても、合意がない限り絶対手は出してはいけない、という、そういう精神面が育てば、どんな服装をしても良い訳なのです。アラーの神の御啓示に基づいて、男性諸君を教育すれば良い訳なので、イスラム教は・・・。しかし、イスラム教は、今、部族ごとの宗教なので、アラーの神という一神教なのに形式は部族宗教なので、部族長のいう事が絶対なので、この部族長がそういう事に気付かない限りそういう動きが起きて来ない訳です。(中略)アラーの神の御啓示を求める様な信仰になって行かないといけない、という事が起きて来ます。

そうするとキリスト教も天の父という事を求めて行くと、天の父とは一体何かという事を突き詰めて行くと「主神様だ。」という事に気付いてきますし、イスラム教も、アラーの神とは一体何かというと元々は天の父なのだ、と。そして天の父とは「主神様なのだ。」という事に気付いてくるので、こういう事の積み重ねによって主神様と御一体のメシヤ様の御存在を理解する事に成って、而も奇蹟が裏付けされて来るので、『メシヤの御手に帰一され。』という善言讃詞の祈りが現実のものに成ってくる訳です。

しかし、そのように現実的なものになって来る為には、我々の霊的な高まりが必要だという事なので、今皆さん方に必死にお願いしているのは「覚りを啓いて貰いたい。」という事なので、その覚りを啓くのは、地上天国建設をする為には三大宗教が一つに成って行かないといけないので、その下準備として今「覚り」を啓く道を私達は歩んでいく訳ですね。

 

平成28年10月メシヤ講座出雲支部より

 

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