御講話⑥三千年の桃の実
北○は盤古神王にして、南○は大自在天系なり。南○より出たる出口王仁三郎は大自在天にして、いまの働きは大六天の魔王なり。それで大悪魔にはあれども、岡田仁斎先生を産みたるは、大悪魔の悪業を償いて余りある大功あれば、今後において改心すれば、また救われて元の霊魂に復帰することを得るなり。素戔嗚尊の霊魂なり。
月は水なれば阿弥陀も水なり、阿弥陀仏を今において拝む者は、体中冷ゆるは当然なり。
日は火なり、観音様は日の神様なれば、冷ゆる人が観音会に入会して、観音様を拝めば冷も去り温かくなるなり。
月は阿弥陀にして大自在天なり。さればこそ六にして中界の魔王となるなり。
大六天の魔王とはやはり六なればなり。出口王仁三郎なり。また、猿田彦命が中界の魔王となるという大本教のお筆先あり。これもこの意味なり。猿田彦命は手力男命となる。昭和神聖会はこの働きなれば大六天の魔王の活動となるなり。すなわち、出口王仁三郎の釈迦は悪少し、すなわち教祖様の意味となる。
天若彦は七の霊魂なり。教祖様の夫なればなり。
三千年の桃の実とは西王母のことにして、現界の歴史である。仏教では胎蔵界という。弥勒の出現の時までに五六七を胎蔵していたのである。西王母は聖王母とも書く、伊邪那美尊のことである。いままでの世界は、伊邪那美尊の御経綸である。伊邪那美尊は西の経綸である。西王母より生まれて、いよいよ桃太郎となる。千手観音は桃太郎のことである。たくさんの宝を取るのは、千手観音の手にたくさんの宝を持っている。あれはいままでの世界の物はすべて鬼ケ島の鬼が支配しておったのを取り返したことになるのであって、いままでのあらゆる権力を鬼が持っていたのである。今後鬼が改心することになるのである。桃太郎に出られては迚もかなわないと言って降参するのである。
いままでの支配権は(支配権といっても霊的である)鬼が持っていたのをいよいよ奉還するのである。尉と姥とで世界の大掃除をいたすことである。
黄泉津比良坂の戦いは鬼と桃太郎の戦いである。桃太郎は桃の実である。千手観音である。応神堂の千手観音のお顔は若いが、あれは桃太郎の顔である。黄泉津比良坂の戦いは、一番初めは明治神宮の参道九鬼隆二子爵の家に行ったことである。青山隠田百一番地で、百一番は「桃のはじめ」ということ、九鬼とはたくさんの鬼のことである。その戦いで勝って如意宝珠の玉を夫婦で持ってきてくれた。いまでもどんどん第二、第三、第四と戦っているのである。
麹町へ出たのは、鬼ケ島の真ん中へ出てきたことである。桃太郎は最勝妙如来である。必ず勝つのである。桃は三月三日に咲いて五月五日の鯉のぼりのことは非常なる意味がある。鯉は魚の観音である。真鯉の鱗は三十三枚である。
【御講話篇1 P26】