『文明の創造』宗教篇 霊界に於ける昼夜の転換 (文創 昭和二十七年)
『文明の創造』宗教篇 霊界に於ける昼夜の転換 (文創 昭和二十七年)
本文は『文明の創造』305ページに記載されています。
『文明の創造』の宗教篇に入り、11月はその論旨の根幹部分になりました。御記述の文面に対して各支部で学んだことをダイジェスト版にしました。
『私のいふのは大宇宙のそれであって、此(この)事を知るとしたら、人智では到底想像もつかない程の大神秘を会得する事が出来、それによって今後の世界の動向も分り、未来の見当も略(ほ)ぼつくのである。』(下記説明は三重支部より引用)
(先生)愈々この『文明の創造』も深いところに入ってまいりまして、とりわけ本日拝読していただきました『霊界に於ける昼夜の転換』と言いますのは、仏教のことにも触れていますので、仏教界からは反発を受けるような内容であります。日蓮の法華経の点において『文明の創造』を最初に世に出された○○○○先生もそこを外さざるを得なかったところがあります。それから『旧約聖書の中の禁断の木の実とは薬の事を言ったもので、深遠な神の謎を述べたものである』という箇所はキリスト教神学者から手厳しく批判され、外さざるを得なかったようです。そういう意味では一番根本義を出すことが出来なかったので、この『文明の創造』によって初めて仏法や薬毒に関する根本義が世に出たということになります。
そういう意義を持って、本日拝読させていただいたところをもう一度確認させていただきますと、最初のページの3行目に
『成程それには違ひないが、私のいふのは大宇宙のそれであって、此(この)事を知るとしたら、人智では到底想像もつかない程の大神秘を会得(えとく)する事が出来、それによって今後の世界の動向も分り、未来の見当も略(ほ)ぼつくのである。』
と書かれています。私たちは信仰の対象をメシヤ様として、そして、メシヤ様の御本体である主神様に向かってお祈りさせていただくときに〝大宇宙のそれ″というところが一番大事になって来るわけです。このことを解って日々の参拝をさせていただくことが大事ですし、『夜昼転換』ということが解れば今後の世界の動向も解って、しかも未来の見当もほぼつくということですので、そういう意味では世の中の見方とか人類の歴史を見る上において『夜昼転換』という御教えは〝根本的な御教えである″ということが本日拝読させていただいたところから良く解るのではないでしょうか。
『霊界に於ても現界に一日の中に昼夜がある如く、十年にも、百年にも、千年、万年にもあるのである。』(下記説明は三重支部より引用)
次に306ページの8行目を見ていただきますと、
『それによると、霊界に於ても現界に一日の中に昼夜がある如く、十年にも、百年にも、千年、万年にもあるのである。』
というふうに・・・。今書籍として出ていますが、岸田一隆著「3つの循環と文明論の科学-人類の未来を大切に思うあなたのためのリベラルアーツ」では、「この人類の中には飛躍した時がある」という解説をしています。
第一の飛躍は約10万年前、〝言語を持つことを許されて、世界に散らばった”時期です。
第二は約1万年前に農業を手に入れ、栽培をするようになり定住をするようになったいわば〝文明が始まった”時期です。日本で見ても三内丸山遺跡は6500年前から3500年位前の遺跡を見ると栗を栽培して三千年間くらいは定住しています。その間に文明の基礎ができたということが解っております。
第三は18世紀に産業革命が起きてそのことによって物質文化が物凄い飛躍を遂げました。一方自然の破壊も進みました。自然が再生産をする力とか浄化をする力が現代においては飽和状態になっています。
私たちは酸素を吸って二酸化炭素を出すことによって呼吸をして、この呼吸が生命活動になっております。産業革命で人類がやってきたことはこれも酸素を燃やして二酸化炭素を排出するということを通して、産業が発展してきたのです。ですから今は二酸化炭素が地球を覆って温暖化が進んでいるということを言われています。これを再生産するということはアマゾンとかの森林で光合成をして二酸化炭素を酸素に変えていくというのが再生産なのです。
それから海に悪い物質が流れてきて海を循環する中で、浄化して行くということが起きてきます。例として解りやすいのは瀬戸内海の渦潮ですが、これは中国山陽側と四国から瀬戸内海へ出される排泄物あるいは工業の排水をあの渦によって入れ替えて瀬戸内海を綺麗にしていきます。そういう浄化能力が飽和状態になって2006年は本来の地球の生産能力の1.4個分を使ってしまっているので地球としては浄化能力がなくなってきているということです。それで日本人の生活が世界に広がると地球の2.4個分になるということです。アメリカ人の生活を全人類が行うと5.3個分になるそうです。それだけ環境破壊をしているのです。
ですからこの人の言いたいことは、我々の生活を発展に向けるのではなくいかに穏やかに生活するか、というように切り替えていかなければいけない時期を迎えている。ということが論旨なのですが資料として興味深いのでお話しました。
ですから、専門家から見ても『昼夜の転換』が起きているのですけれども、メシヤ様の人類救済の御立場からすると、『十年にも、百年にも、千年、万年にも』昼夜の転換が行われているということを当てはめますと、〝約1万年前の転換は農業や都市の発達だった”と言えるのではないでしょうか。そのように考えていけば、私たちの歴史の見方ということが非常に深いものになっていくのではないかと思います。
『そこで今私が言はんとする処は、世界の大転換に関する主なる点であって何よりも先づ大転換の時期であるが、それは1931年6月15日から始まってをり、1961年6月15日迄の、三十年間で一段落がつく事になってゐる。(下記説明は浜松支部より引用)
先生 続いて読んでいきますと
『従って其(その)転換毎(ごと)に、人類世界にも反映するので、それが霊界の方では絶対正確であるにも拘(かか)はらず、現界へ移写される場合、幾分の遅差は免(まぬが)れないのである。其(その)事を頭に置いて、長い歴史をみる時、大、中、小種々の歴史的変化をみるのは、其(その)表はれである。そこで今私が言はんとする処は、世界の大転換に関する主なる点であって何よりも先(ま)づ大転換の時期であるが、それは一九三一年六月十五日から始まってをり、一九六一年六月十五日迄の、三十年間で一段落がつく事になってゐる。』
と書かれています。この1931年は皆さん方、ご承知の昭和6年6月15日の『夜昼転換』の神事を房州鋸山でメシヤ様が執り行われたことです。
それから30年間で一段落つくということになっていますが、実は一段落つかないで、きております。それはメシヤ様が予定より早く御昇天されてしまったからです。
昨日、新潟出張所でもいろいろ話をしたのですが、メシヤ様が昭和29年の6月15日にメシヤ降誕仮祝典を執り行ったのですが、そのあとすぐ“メシヤ様と呼ばない”という形に教団はしてしまいました。
それから、昭和25年の5月に御法難が起きたときに、メシヤ様は『もう一切御神業から引く』といったんおっしゃったのですが、そのときに野沢明一氏がメシヤ様のところにお詫びに行って、『明一が詫びたのであれば、もう一度御神業を再開しよう』ということで御神業が再開され、そのあとすぐに『文明の創造』の原稿を執筆になられ始めたということであります。
メシヤ様の御存在に対する認識が、残念ながら当時の大幹部と言われた方々がどうしても理解を深めることができなかったために、執行部によって『メシヤ様』の御名を取り下げてしまいましたので、それでここの30年で一段落がつくとありますので、本来昭和36年の6月15日で一段落ついていないといけなかったのですが、メシヤ様が御昇天されてしまったために一段落つかないまま、今日を迎えております。
それでメシヤ教の御神業というのはこの一段落をつけるために今、進めております。
一段落をつけるということはどういうことかというと、全世界を救うための準備をするということが一段落です。そのために一つは『祈りの栞』を作り変えて、主神様に真向かう、メシヤ様に真向かう姿勢を整えるということです。
それから世尊は斯(こ)うも曰(い)はれた『儂(わし)は見真実によって分った事だが、今迄説いて来た多くの経文(きょうもん)は、少からず誤りがあるので、今日以後真実を説くから、よく之によって正覚を得られよ』と仰せられたので、此(この)時からの経文(きょうもん)こそ仏法の真髄である事は確実で、それが法華経二十八品(ぼん)と、法滅尽経(ほうめつじんきょう)と、彌勒出現成就経である。処が、其(その)事を発見されたのが彼(か)の日蓮上人であって、上人は此(この)発見によって他宗教義悉(ことごと)くは見真実以前に説かれたものであるから、真実ではない。独り我法華経こそ仏法の真諦(しんたい)であるとして、・・・(下記説明は浜松支部より引用)
先生 次に308ページの釈尊の見真実に達した話が出ていますが、
『儂は見真実によって分った事だが、今迄説いて来た多くの経文は、少からず誤りがあるので、今日以後真実を説くから、よく之によって正覚を得られよ』
と仰せられたので、此時からの経文こそ仏法の真髄である事は確実で、それが法華経二十八品と、法滅尽経と、弥勒出現成就経である。処が、其事を発見されたのが彼の日蓮上人であって、上人は此発見によって・・・「他宗教義悉くは見真実以前に説かれたものであるから、真実ではない」と言って、一大獅子吼となったのです。このことを、お釈迦様が見真実に達してわかったことを日蓮上人が発見したからこそ、『夜昼転換』の黎明期を迎えたということです。
日蓮上人が中国に行って、万巻全部のお経(原書にて)を読んでこのことがわかったので、今の日本は真実ではないということで、この仏教を本来の在り方に改革をしていかないといけないと決心を固め、伊勢神宮にお参りに行っています。そして伊勢神宮で天津祝詞を奏上して、日本の神様に力をいただくべくお願いをして、それからふるさとの千葉へ帰って一大獅子吼ということになったのです。
ですから日蓮宗のお坊さんはみんな天津祝詞を奏上することができるのです。しかし、この天津祝詞の奏上の意味がわかっているお坊さんとわかっていないお坊さんがいるので、日蓮宗のお寺にはところによっては稲荷を祀っていて天津祝詞を奏上しています。本来、天津祝詞は伊勢神宮に行くときに唱えるために、日蓮宗のお坊さんは天津祝詞を覚えておかないといけないのですが、この日蓮上人と同じようにすべてのお経を読んだお坊さんがいないので、なかなかそこまで達することができない状態である、とういうことを私達はメシヤ様から教えていただいているので、日蓮宗に対する見識も持っておいていただければ大変ありがたいと思います。(中略)
それから次に、ずっと拝読して最後のところまでいって312ページの1行目から
『此三人の仏陀が三尊の彌陀である。とすれば阿彌陀と釈迦は、夜の世界の期間の御役であったに対し、観音は昼の世界にならんとする、其境目に観音力を揮はせ給ふのである。此経綸こそ昔印度に於て、仏法発祥の時已に誓約されたものである』
この『仏法発祥の時已に誓約された』ということが大事なことですので、これをよくご記憶しておいていただきたいと思います。
この発祥の時に既に誓約された内容が、もう一度308ページに返っていただいて、6行目に
『儂(わし)は今迄終生の業として仏法を創成し、一切衆生を救はんとして大いに努力を続けて来たが、今日大仏陀から意外なる御諭しがあった。それによると或時期に至ると、我仏法は滅すると言ふ事で、大いに失望したのである』
この仏滅の意味はほとんど日本人には今、分かっていません。大安と仏滅ぐらいの差でみんな認識している程度で仏滅が一番悪いというぐらいに思っておりますので、ほぼこの意味はわかっておりません。
それでは『今日大仏陀から意外なる御諭しがあった』というこの大仏陀は誰ですか? ○○さん。大仏陀とは?
参加者 伊都能売神皇(いづのめしんのう)。
先生 そう。だから伊都能売神皇が仏教の祖であるということを日蓮上人が知ったので、それで『夜昼転換』の黎明期を迎えたのです。
しかもこの時、仏滅が来るということをこの時から約束されているということ。これが既に誓約されたということです。誓約されていた内容というのは“仏の華が咲いた後、仏滅が来る”ということですので、今が仏滅に入りつつあるということです。(後略)
『仏法発祥の時已に誓約』については大阪支部では次のように話しました。
それから最後のページの3行目のところに
『其境目に観音力を揮はせ給ふのである。此経綸こそ昔印度に於て、仏法発祥の時已に誓約されたものである。』
ということであるので、この『誓約』というところは、もう一つ私達はですね、しっかり確認をしておかないといけないことであろうかと思います。それは、素盞鳴尊がですね、日本に武力を持って約3000年前に押し掛けて来て、そして、その当時の日本の頂点にいらした伊都能売神皇様が、密かに抜けられてインドに降って行って、そしてお釈迦様に仏法として教えております。その時の『誓約』は実はこれなんだということをよく理解しておかないと、その仏教が一旦日本へ入って来て、そして暫く日本に拡がった後、次に日蓮上人が出現されて、その真実を理解して仏教改革に立ち上がることによって、この『夜昼転換』の黎明期を迎えることができたんだ、と。そしてメシヤ様の御出現によっていよいよ『夜昼転換』を行うことができた、と。こういう3000年間の繋がりをですね、この御教えを基にしてしっかり私達は、頭に捉えておいていただきたいと思います。
実は、これが経綸なんだということですので、これ以外の経綸というのはこの世の中には存在しないという・・しかもこの経綸は変更がないということです。ただ遅らせているのは人間の努力不足で遅らせているところがありますけれども、経綸上の変更はないということです。この経綸をしっかり受け止めて、そして私達は御神業をですね、今後も精一杯取り組ませていただきたいというふうに思いますので、そういうことを思い出しながら、本日のところは繰り返し繰り返し拝読をしていただきたいというふうに思います。
観音は昼の世界にならんとする、其(その)境目に観音力を揮(ふる)はせ給ふのである。(関連して下記説明は大阪支部から引用)
参加者 密教とか、法華経は学んだりとかしてないんでしょうかね?
代表先生 密教の祖は誰ですか?
参加者 あの~。
代表先生 弘法大師。
参加者 そうそうそう。
代表先生 弘法大師のやられたことはなんですか?
参加者 弘法大師はずーと回られましたよね。
代表先生 ずーと回って・・何をして回ったんですか?
参加者 寺を作られたりとか、そういうことじゃなくてですか?
代表先生 密教をもって何をやったんですか?
参加者 仏教を定着されていかれたんでしょうかね?
代表先生 仏教を定着したのは弘法大師ではないので。仏教を定着させたのは奈良時代からずっと為政者がしていったので。
参加者 あ~そうなんですか。
代表先生 密教で人を救っていった訳なんです、弘法大師は。人を救うというのは病気を治すだけではなくて農家の人達が水害とか様々なことが起きるので、その困っているのを助けるために密教を使っていったわけなんで。
だから弘法大師のやられたことは、言わば、今私達はその延長線上で浄霊ができてるわけ。で、日蓮のやられた延長線上で私達は御教えというのを手に入れているわけなんで。
参加者 親鸞とかあの~。
代表先生 親鸞は何て言われてる?野卑な言い方で・・・。
参加者 あの~。
代表先生 「門徒、物知らず」と。そこに真理はないわけなので、真実は。親鸞を世に出した人は誰なの?
参加者 法然じゃなかったっけ。
代表先生 法然とか蓮如でしょ。そしたら如だから、真理の如しだから。だから真理ではないので、そこから流れて来るものは御詠歌とか演歌の世界に流れて来るわけなんで。人を慰めるとか人の心を落ち着かせるとか、そういうことで今日本ではずーと定着して来ている訳なんです。
参加者 今のその密教とかでも法華経とは、・・・勉強してないんですか?
代表先生 要するに日本でお経の原本を全部読んだ人は日蓮上人しかいないわけで、後の人は全部は読んでないので。
参加者 あ~じゃ伝わってない可能性が。
代表先生 うん。空海上人は何故それだけの力を発揮されたかというと、お釈迦様に教えを説いた伊都能売神皇様のことが分かったからなんで。
参加者 あ~。
代表先生 だから力(観音力)を発揮できるわけで。
参加者 お釈迦様に伊都能売神皇がお教えを説いたのはいつ頃なんでしょうかね?
代表先生 悉達太子の時からだから。
参加者 あぁ小さい時から。
代表先生 皇太子の・・・。
参加者 じゃその時聞いた時はまだそんなあれで、後で自分で勉強されて見真実になられた訳なんですね。
代表先生 人を救わないと見真実にはなれないので。大勢の人を救ったから、そして最終的に見真実に達している。ただ伊都能売神皇様から教えられたことを基にしているんだけども、あの方は出家してしまっている。奥さんと子供を捨てた・・、捨てたというかね、皇位も捨ててしまってそういう俗なるものを捨ててやっていったので、そこは真実ではない部分がずーと続いて、見真実に達したわけなんで、で見真実に達した時にそのこと自体は間違ってたということに気付いたんで。
木原 『大仏陀』から教えられたというふうに書いてある。
参加者 大仏陀から教えられた・・・ここに書いてあるんだっけ?
木原 だから、『三尊の弥陀』って、仏陀ってまあいったら三種類あってね。で今おっしゃったように『伊都能売神皇様』から教わったと、で見真実になったと。
参加者 でも伊都能売神皇様には小さい頃から教えていただいてたんでしょう?
木原 うん、だけど早めに言ったら勉強しないから。
代表先生 だって「メシヤ講座」を受けていてもね、いつも同じ質問する時もあるじゃない。
参加者 あっそうですね。
代表先生 そうでしょ、いくら優秀な御釈迦様と言えども、伊都能売神皇様にかかってみたら子供みたいなものだから、だから何回でもお聞きしないと分からない部分は、これはあるわけね。
しかも勉強しただけでも分からないことがあるので、勉強して実践しないと分からない。
で、実践して成功したり失敗したりして分かったかというと、またこれも分からないわけなんで、後はその上に人格を高めていかないと分からないわけなんで、だから教えられて実践して、そして、人格を高めなければ見真実に近づいていくということはできないわけなんです。(後略)
処が其(その)後御位(みくらい)が上られ(下記説明は出雲支部より引用)
312頁の後ろから3行目に
『処が其後御位が上られ、光明如来となられたので、現在は光明如来の御働きである事は信者はよく知ってゐる通りである。』
ここでは『御位』という所に注目をして頂きたいと思います。
昭和27年当時は、『光明如来様』の御働きでありましたけれども、昭和29年6月15日に『メシヤ様』という御位に上られて、そして「メシヤ降誕仮祝典」を6月15日に執り行いました。そしてメシヤ様は、『儂の事をメシヤと呼べぬ者は出て行け』と、言う位きつく仰ったんですけれども・・・約2か月後に、時の執行部によってメシヤの御名を取り下げました。そして“今迄通り「明主様」と呼びます”と「光明如来様」の働きに下げてしまいます。この御位についての認識が無い為に、御神業が思うように進んで行かないという一番大きな問題があります。
【平成26年12月メシヤ講座より】