御光話録1号 ①御浄霊により肉体的に救われても精神的に更生できないのは?
(お伺い)
御浄霊により肉体的に救われても、精神的に更生される方が少ないのはなぜでしょうか。
『精神的に更生できないというのはどういうわけですか。』
(お伺い)
例えばいつまでも夫婦喧嘩を続け、いっこう更生したように見えない方がよくございますが・・・
『ところがなかなかそうは変わりませんよ。夫婦喧嘩をしなくなるまで二、三十年はかかりますよ。急激にぼんぼん変わればたいしたものです。・・・それよりも他人ではない自分です。自分がそう簡単に治るかどうかを考えたらよい。五年かそこらで自分の心が治せたらたいしたものですよ。それから時期ということもありますしね。順序や段階もある。以前私が大本教に入っていたころ、いい宗教だと思っていたがちょっとおもしろくないこともあり、五年くらい止めて離れていたことがありました。ところがある人からもう一度研究してみるようにと言われたので、またやり直したらやや判り、それから熱心になった。結局私は大本教から別れたがその間はずいぶん熱心にやりました。そのときに得たところは非常に多く、いまでも感謝しています。こういうふうだからただ表面から見ていいとか悪いとかは言えないんですよ。この道に入っても、初め熱心でそれから不熱心になる人もあり、またその逆の人もある。働きのありそうな人でも結果の出ない人もあり千差万別です。また時機によってその人の本当の働きになったりするのです。だから私はたいていのことはなにも言わずにやらせる。そうするとうまく行くのです。間違ったことをすればいずれ行き詰まり、自分でビックリして改心することもあります。人間は執着をとることも必要なんだから、ほおっておいたほうがよい。行き詰まるところまで行かせたほうがよい。坂を転がり落ちる石を途中で止めようとしても無理で、落ちるところまで落ちてしまってから止めたらよい。それと同じで行き詰まったときに話をしてやることが効果があるのですよ。』
【御講話篇1 P296】