御教え集23号 ⑦恋愛というのは尊敬が根本
私は映画を見るたびにそう思いますが、男が女に大騒ぎすると女は男に振り向いてこないのです。また男もそうです。それでおもしろいことには、男が女に惚れていると女はウンと言わないのです。それで男が怒って勝手にしやがれとなると、今度は女のほうが急に寄ってくるのです。映画の脚本はほとんどそういうのが一番多いです。見ていて馬鹿馬鹿しくなることがありますが、しかしそれが事実というものです。ですからそこのところをうまく考えて利用するのです。そうするとよい結果になります。ですから男でも女でも、非常に愛しているときには逆に「勝手にしやがれ、お前なんか愛しているものか」というようにするのです。ここのところをよく心得ていて、そういうようにやると、なにごともうまく行きます。とにかくこれを信仰的に言うと、「神様、神様」と勧めますが、そうすると安っポクなります。安っポクなるということは信仰の値打ちを下げることになります。ですから私がいつも言うとおり、それこそ一〇万円のダイヤモンドを一〇〇〇円で売るようなものですから、勧めるという法はありません。ですから話だけをして、一〇万円のダイヤモンドを一〇〇〇円で売るものだということを言って、その選択は先方に任せるのです。男が女に惚れて大騒ぎすると、男の値打ちを下げてしまいます。恋愛というのは尊敬が根本なのです。男がなんとか言って惚れたところで短期間なものです。だからきれいな男だからと言って女は惚れるものではありません。これは恋愛哲学ですが、とにかく安っポクなるのです。安っポクなると尊敬がなくなります。そういう場合に「オレは、ヘン、お前なんかに惚れるものか」というと安っポクなりません。そうすると女のほうで敬うようになります。なにごとでもそうです。私はそういうことをよくやりますが、欲しい物があっても欲しい顔をしないのです。そうすると先方でぜひ買ってくれと言ってくるのです。一切万事がそうですから、これだけ知っても役立ます。
【御講話篇10 P326】