時間と人とお金について
― 日常生活の中で時間というものが非常に大切のように思います。また人への対応、お金の使い方も難しいものがあります。メシヤの教えではどのように教えられているのでしょうか?
1、時間
「メシヤご在世中は、ご自身用の時計を五分進めておられていました。時計を五分進めることによって、物事の五分前にはご自身の態勢を整えられていたのですね。ご自身、時間に非常に厳格であったと同時に、人に対しても同様でした。ですから面談等においては、お約束の時間を連絡無しに遅れて来た人には決してお会いになりませんでした。
そうしたこともあって、高弟の中には教会の祭典開始時に門扉を閉めてしまう方もいらしたようです。時間を守る、ということへの教育ですね。人間生活において約束を守る、ということは大切ですが、中でも『時間を守れない人は、信仰の落第生だ』と述べられるほど、約束の中でも時間を守ることの重要性を教えられています。祭典について付け加えるならば、どうしても日時の都合が悪い場合、事前にご挨拶に伺うことを心掛ければ神様に礼を尽くしたことになります。
また『大本教のお筆先に曰く‘時節には神も敵わぬぞよ’とあるが、一言に喝破し得て妙なりと言うべきである。』とも述べられています。これは時期の大切さを教えられているのですね。時期の良い時には何事も順調に行きますが、悪い時にはいくら立派な企画でも巧く行きません。ですから次のように教えられています。
『私は何かを計画する場合決して焦らない。充分多角的にあらゆる面から客観し、熟慮に熟慮を重ね、如何なる点から見ても正しく、社会人類の為有益であり、永遠の生命ある事を確認し、然る後準備万端を整え時期を待つのである。』
『然らばその機運というものは何によって判断するかというと、先ずあらゆる条件が具備し、機運から見てどうしても計画を実行しなければならないという勢いが迸るようになる。そういう時こそ機が充分熟したのであるから、着手するや少しも無理がなく楽々総てが運んでゆく。』
あなたが先月自宅の竣工祭を斎行できたのも、やはり時期が良かったのです。勿論あなたの力があったからなのですが、教えに沿って様々な要件が揃っていたので、私は強く勧めたのです。しかもあなたは自宅の竣工と機を一にして、新たな人脈を得ました。時期が来ていたのでトントン拍子に行ったのですね。」
2、人
「まず人間については、次のような教えを根底において考えさせていただけば良いと思います。
『本来、人間というものは、神様の御目的なる理想世界を造る役目で生まれたものである以上、その御目的に叶うようにすれば、いつも無病息災愉快に働ける。これが不滅の真理である。
そうして神は一人一人それぞれの使命を与え、特徴を持たせ、生き変わり、死に変わり、理想目的に向かって前進せしめつつあるのである』
私達は、神様から与えられた使命を自覚し、使命遂行のために持たされた特徴、特性を認識して生きていくことが大切ですし、そうした姿勢で人様に接していくことが意義深い人生を育みます。神様から与えられた使命のことを‘因縁使命’と言います。
あなたは30代前半ですから、自らの‘因縁使命’を自覚する年齢に達しています。昔から‘三十にして立つ’と言われていますが、‘立つ’ということは自分の使命を自覚する意味だとされています。また文字通り‘自立’するということです。自立するために不可欠なことは、幼児性と依存性を消していくことです。
例えば、気に入らないことを言われるとすぐに腹を立てる、人を羨ましく思う心が強過ぎる、責任を他に転嫁する、何でも人をあてにする、等々です。親離れということが、そのために最も大切なことです。しかしながら、最近では子離れできない親が多いので困ったものです。
それから、あなたは今後‘不惑’を目指します。不惑とは何に惑わないか、ということですね。それは、‘因縁使命’が自覚できた上で、自分に関わる人々をどう見るか、ですね。課題から言いますと、‘異質な人を認めることができ、多元的な価値観を認めることができ、それらの人々と苦労や喜びを共にできる’ことを目指したいですね。
そのために必要なことは、相手の特徴、特性とお付き合いするということです。自らの因縁使命や特性に気付いている人もいれば、そうではない方もいますが、その人その人に応じて対処すれば良いですね。しかも、『神の声』は人の口から聞こえてくるものだ、と言う心構えがあれば、鬼に金棒です。
‘内流’ということは特殊な使命のある人にあることですので、一般的には『神の声』は人の口から聞こえてくる、と受け止めて行くことが良いでしょう。また『神の声』というものは神の愛に沿って出されます。神の愛というものは、『人を成長させる』ということが根底にあります。しかも『生き変わり、死に変わり』とありますように、魂の成長ですね。
自分にとって嫌な事、厳しい事、遥かに高次な事、というものを‘私を育てようとされている神の声だ’と受け止めていけば、なんと素敵なことでしょう。」
3、お金
「お金というものは通貨と言われる位ですから、通すものです。大切なことは、やはり善いことに通していくことですね。一番善い事、と言いましたら、最高神の御意図である『地上天国』を建設するために役立つように使う、ということでしょう。御玉串料、感謝献金として真心を捧げる、ということがあります。
それから慈善事業などへの寄付ですね。慶弔関係も大事ですね。ただ、メシヤの教えでは『慈善事業等はそれ自体大変立派な結構なものですが、それはいわば消極的な奉仕で、宗教を通して社会の人間を自立させるために働く、それが一番の社会奉仕になる』とありますので、本物の宗教への奉仕が善い使い方ですね。
また、宗教と言っても色々です。宗教施設の火災はお金の集め方と施設の問題ある使い方に原因があることを例に引いて、『一定の額を定め強要することがあるが、これは自然ではない。信仰的献金としては本人の自由意志によって任意の額を決めるのが本当である。気持よく献納する事こそ真の浄財になるのである』と説かれています。
一方借金については『その(返済期と予算のずれから来る心配)煩悶が始終頭脳を占領しているから、良い考えが浮かばない。これが最も不利な点である。又いつも懐が淋しいから、活気が出ない。表面だけ飾っても内容は物心共に甚だ貧困であるから、万事消極的で伸びる積極性がない。というわけで、いつも不愉快でいる。』とあります。
特に事業者に対しては、『例えばここに十万円の資金(昭和24年当時)があるとする。それを先ず半分乃至三分の一位で始め、後の金は残しておくのだから、理屈から言えば頗るまだるっこい。然もその十万円の金も無論人の世話にはならない、己の腕一本で稼いで蓄積したものでなくてはならない。まったく身についた金であるから、力が入っている。そうしてできるだけ小さく始めるのである。』と提唱されています。
長くなりますね。まあ、お金は善い事に使い、事業などには‘力’の入ったお金を使うようにすることが肝要ですね。」