献金奉仕の奇蹟
献金奉仕の奇蹟・ゴルフ練習場の建設
昭和57年の教祖御生誕百年祭に向けてMOA美術館建設が進められていた時のことです。私は教団機関紙の編集業務で美術館建設の担当をしていたこともあり、その意義については十二分に認識しておりました。
国宝3点、重要文化財53点、重要美術品47点(当時)をはじめとする三千数百点の所蔵美術品は高く評価されていますが、その蒐集に当たっては戦後の海外流失を防ぐ意味で大きく貢献したことは周知の通りです。美術館は、こうした東洋美術の粋と評されている美術品を広く公開する場であると共に、美術品を保存する場でもあります。
ですから、今大きく騒がれている東海沖地震に対する耐震構造や設備を万全にする必要があります。また、国宝の「紅白梅図屏風(尾形光琳筆)」や手鑑「翰墨城」をはじめとする書画の保存は空調が命です。様々な課題が山積する中膨大な予算が組まれ、初期の計画では銀行から借入し長期計画で返済するというものでした。
しかし、百年祭の記念行事としてオ-プンするからには借金を抱えたままで臨んでは申し訳ないという機運が広がり、昭和57年度中に完済しようという事業計画となりました。「何としてでもやり遂げよう」という意欲がありました。
しかし私は若く、意義の説明を重ねましたが、「献金奉仕によって徳を積むことができる」という確信に満ちた取り組みには到りませんでした。
そんな時二つの大きな御守護を目の当たりにすることで、私の心は変化して行きました。
一人の方は、高岡郡佐川町で従業員50名を抱える会社を経営する方でした。自然な地形を生かしたゴルフ練習場を建設したいという夢を抱いていましたが、いざ候補地が見つかっても多くの地権者が全て了解してくれる訳でもありません。半ば諦めていた頃、父親が老衰で他界されました。そしてその時、遺産の三分の一を献金奉仕されたのです。
すると瞬く間に、新たな候補地が見つかり22名の地権者が賛同してくれたのです。私は鳥肌が立つ思いでした。買収を終えると、私が祭主となり地鎮祭、そして竣工祭を執り行い、賑々しくオ-プンを迎えました。
献金奉仕の奇蹟・48歳の初産
次の方は、夫53歳、妻48歳の高岡郡日高村に在住する夫婦です。子供に恵まれていませんでした。この方は、懸案だった土地売却が実現できた時に売却額の三分の一を献金奉仕されました。
その時に、なんと妊娠されたのです。驚きました。高齢出産で、しかも初産ということで心配もありましたが、浄霊のお蔭で全て順調に十月十日を迎えました。そして玉のような女の子を出産されました。その喜びようは大変なものでした。
この二つの出来事は代表例ですが、徳を積むことの意義を強く認識することができました。若輩ですと、お金に関する話題は何かとし辛いものですが、そうしたことは一切なくなりました。
相手が幸せになるのですから、自信をもって神様に捧げる意義を説くことができるようになりました。そして、誠のある方々がそれに応えてくださいました。