天照皇大御神様奉祝大祭にむけて

聖徳太子が編纂した「先代旧事本紀大成経」では、メシヤ様の御神事によって丹波の元伊勢から伊勢内宮へ天照大御神様を御鎮座なされ、素戔嗚尊様と交代された御教えを記させていただきました。

まずは、昭和16年7月1日までは素戔嗚尊様が御鎮座されておられたというところを研鑽させていただきたいと思います。

皆様、不思議に思われるのではないでしょうか?何故伊勢神宮に素戔嗚尊様が居られるのかと。

このことについては「サルタヒコのゆくえ」(2022年9月初版) 戸矢学さんの書籍を参考文献とさせて頂きます。

まずその前に外宮の謎なのですが、外宮は豊受大神を祭神としているとされており、女神とされています。

しかし、外宮の千木は外削ぎで鰹木が奇数で、神社建築の原則によれば男神を祀っている表徴だそうなのです。

(サルタヒコのゆくえより)

そして本来は豊受ではなく、「止由気(とゆけ)」という名だそうで、(止由気宮儀式帳)止由気の由(ゆ)は助動詞で止められる気ということだそうで、内宮に祀った祟り神が外に向かって凶気を発することがないように遮断する力だそうで、外宮の依代や御神体は一切公表されていません。

神宮参拝においては「外宮が先」とされていますが、元々の土地神でありこの地の支配支族である海人族の磯部氏(渡会氏)の氏神であるサルタヒコがヤマト天孫族によって殺害され、その御霊を五十鈴川と朝熊山の間の狭長田(さなだ)の地に設け「内つ宮」と呼ばれ、そしてそこにアマテラス=八咫鏡がやって来た時にその場を譲って外宮へ移ったとあります。

この時が素戔嗚尊様の御霊だったのではないでしょうか。

また、書籍では伊勢神宮は御霊を鎮魂奉斎しているのではないかと書かれており、怨霊神を神社に封印する際には本殿と拝殿ずらしや、参道を直角に曲げて先に進めなくするような方法が選ばれているそうなのですが、伊勢神宮もそのようなのです。怨霊神は直進しかできないそうです。

「サルタヒコは古くから縄文人と共存し、日本を纏めていた渡来海人族の総括者であり最後の王で、ヤマト政権は海人族の統治する国が欲しかった。サルタヒコの命と引き換えに海人族は救済され、ヤマトへ服属。」これが伊勢の国譲りで、日本列島に定着した者たちの王とはサルタヒコノミコト様であられると明かされています。

そして、「ヤマト朝廷はサルタヒコの真相を隠すのに必死であったが、図らずもこの国々の人々は天狗と聖天によって見事に隠しおおしてしまった。それらが一般大衆の目くらましにもってこいであったのは皮肉である。」とされ、

隠してしまったと同時に猿の文字で人間以下のような名前に変化し、天狗と結びつけた歴史を考えますと、本当に大変御無礼なことであり、人間が創造したものは霊界にも反映されますので、御神事では天狗のお面でお出ましになられたのだと思われます。今後は猿の文字は使用せず、「サルタヒコノミコト」様と表記させて頂きたいと思います。

出雲神族の祖先の魂である勾玉も、御教えでは

天照大神は勾玉をおそそぎになると五男神が生まられた。之は馬鹿馬鹿しい事である。

講話集(補) s24.2.3

とあり、これが伊勢の国譲りの場面としたら、馬鹿馬鹿しいとは『そんな綺麗な話ではない』と仰せになられておられたのかなと拝察させて頂きました。そして出雲神族と天照大神の神宝が同じ勾玉です。

また、日枝神社にもメシヤ様の御神事によって昭和9年天照皇大御神様が御鎮座になられ、去年の御神事でもサルタヒコノミコト様がお出ましになられましたが、御教えでは日枝神社と氷川神社が二大官幣大社であり、是が御夫婦神となるとのことで、氷川神社にも行かせていただきました。

御祭神は須佐之男命、稲田姫命、大己貴命ですが、最初から三神を祀っていたわけではないようで、研鑽させて頂きますと元々の御祭神はアラハバキ神のようです。江戸時代までは「荒神社(アラハバキ神社)」と呼ばれていたそうです。

ここで、天照皇大御神様の妻神様がアラハバキ神??と意味が分からなかったのですが、御神事では本殿にアメノウズメ様がお出ましになられましたのでアラハバキ神=アメノウズメ様ということ、クナト神=サルタヒコノミコト様、クナト神とアラハバキ神はこの御神体でございます。

ということは、天照皇大御神様はクナト大神=サルタヒコノミコト様という事で、御教えでの日枝神社と氷川神社が御夫婦ということの深い真実を確信させていただいたのでありました。

また、アメノウズメ様がアラハバキ神というのが何故分かったかといいますと、その前に大阪住吉大社に行かせて頂いた際、第四本宮にアメノウズメ様とアラハバキ神がお出ましになられたのであります。そこでアラハバキ神はどういう神様なのか存じ上げず研鑽させて頂いておりました。(この時はまだ、ストーンサークルの意味を知りませんでした)そして、第四本宮の御祭神が息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)で神功皇后ですので、アメノウズメ=アラハバキ神=神功皇后が同一神と解らせていただいたのでございます。歴史を辿らせていただきますと、どうやら神功皇后のモデルがアメノウズメ様のようです。

神功皇后の御子が応神天皇で、天照皇大御神様の直系で大和民族、そして前世のメシヤ様になります。

前述の如く天孫人種が天から天降って高千穂の峰に暫らく屯ろしたという事は、余りに馬鹿馬鹿しい話で、荒唐無稽も甚だしいと言わねばならない。
而も神武天皇の父である鵜草葺不合尊の、其又父である天孫瓊瓊杵尊が、伝説の如く天照大神の勅命によって、此国を治めよとの事であるとしたら、之も可笑しな話になる。
というのは若しそうだとすれば、それ迄の統治権は天照大神が掌握されていた事になる。
すれば天照大神はそれ以前の主権者から受継いだ訳になるが、それ以前の歴史は漠として判らない。
今一つは瓊瓊杵尊という御方の出生地も経歴も、又何故主権を譲られたかという理由も、全然不明になっている。
尤も天降ったとしたら何をか言わんやであるが、そればかりではない。
最初にかいた如く神武天皇以前の日本の統治権を握っていたのは、大国主命であった事は確 実であるから、天照大神が瓊瓊杵尊に主権を与えたという事は理屈に合わない話だ。
若しそうだとすれば神武天皇は既に統治権を譲り受けている筈であるから、出雲朝に対し国土奉還など要求する必要はない事になる。
でなければ何れの日か余程以前に、素盞鳴尊に統治権を委任されたか又は強奪されたかの何れかで、其点も全然不明である。

(日本人種の霊的考察(上))

皇紀前は素盞鳴尊、その前は天照大御神

(講和集(補)s25.3.3)

記紀では、神武天皇の父が鵜草葺不合尊となっておりますが、これは元々出雲神族の系譜ですし、瓊瓊杵尊という御方の出生地も経歴も、又何故主権を譲られたかという理由も、全然不明になっている。との事ですから、創作されたと考えられるのではないでしょうか。そして素盞鳴尊の前は天照大御神とはっきりと仰せになられていますし、素盞鳴尊に強奪されたと考えると、出雲伝承と合致致します。

天照皇大御神様とはどのような御存在の御方であられたのか。大和民族とは歴史でいうとどの民族なのか。

去年までは深い意味を知ることもなく、只々御神事に集中させていただく中で、何をメシヤ様は言わんとされておられるのか?

着地点は何処なのか?と訳がわからないまま必死に考えながらひたすら未知の御神業に邁進させていただいておりました。

今回も伊雑宮と伊勢神宮の歴史を今になって分からせて頂いた事に感謝申し上げさせて頂くとともに、毎回認識が浅く、数々無知だった事、漠然とではないつもりでいましたが、今までの認識不足のまま御神名をお唱えさせて頂いていたことに恥じる思いでございます。

しかし、時期とタイミング、事象は全てメシヤ様からのご教導と有難く受け止めさせて頂いております。

1931年から1961年、昭和36年でひと段落がつく事になっていると考えますと、メシヤ様は昭和30年に御帰天遊ばされてから6年分があるとしますと、昭和から平成の時代に御神業が移りまして、メシヤ教でのメシヤ降誕本祝典(平成30年3月3日、2018年)から本格的なスタートとしますと6年目が2024年となり、先月は御神体を整えさせて頂きましたので、今月6月15日の天照皇大御神様奉祝大祭より更に現界により具体的に移写されると考えられます。

近い将来には今までの日本の歴史が解体され、本当の歴史が明かされるでしょう。

去年の真向かい方と今年とはまた違い、更に奥座敷に入らせていただき、身が引き締まる想いを感じておりますが、只々、与えられたお役をしっかりと努めさせていただき邁進させていただきたいと思います。

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