善言讃詞についての御教え
善言讃詞は、昭和9年12月4日観音経を基にメシヤ様(岡田茂吉師)によって作成されたもので、12月23日当時大日本観音会の仮発会式に初めて奏上されました。
この世の中が天国になっていく型が詠み込まれています。
『善言讃詞は観音経を縮めたものです。この経はもとインドの言葉である梵語で書かれ、二千数百年前のインド人の生活に合っていた。
ところが今日の日本人がこんな長ったらしいお経を上げていたんでは会社も遅刻だしクビになってしまいます。
現代には現代に適応する方法でなければならない。
それで善言讃詞を作ったのです。ところで日本の祭典は古来神の形式をとっていた。1300年前仏教が入って来たが、その前まではすべて神の形式であり、本来は祝詞であった。仏教のよい点を神式にしたのが善言讃詞なのです。』
御光話録
『私が善言讃詞に「大千三千世界」ということを書きますが、つまり「一人」とは「主」ですから、これが元です。
それで「三千」というと「三界」です。現幽神、あるいは天地人で、三つに別けてあるわけです。最初は一で、それが三つに分かれるのが本当です。ですから三つのほうを上につけるということは間違いです。それで一は太陽で三は月、一は火で三は水ですから、大千三千世界というのが本当です。』
御教え集25号
また、観音経については
『仏は全部神の化身である事である。
夜の世界の間は仏になっていたので、神々は全部仏に化身された。天照大神が大日如来になられた如くである。
又化仏という字が観音経に沢山見られるが、化とは化けること−即ち化身する事である。諸子とても化仏であって、信仰に入った人は仏教でいう菩薩に相応するのである。
仏滅という事は、仏が皆元の神に遷る事である。善言讃詞に観世音菩薩光明如来と現じ応身弥勒と化し、とあるが観音は伊都能売の神であり、弥勒の神の化身である。從而、何れは観音という御名もなくなる時が来る。霊界では既に殆んどなくなっている。(神界は、これから、新しい構成をする)』
S23.9.21
講話集(補)
観音様(観世音菩薩)は、伊都能売の神であり、弥勒神でございます。
『伊都能売大神のことは昔は言えなかった。いい加減にボカしてあったんです。天照皇大神は太陽神で、位は上だがお働きは限られる。伊都能売大神は火と水で、仏界では観音様になる。これに土のお働きが加わって弥勒になるのです。天照皇大神は一つの力であり、伊都能売大神は二つ、弥勒大神は三つの御力となり、これが三位一体で完全になる。』
御講話篇1
お仏壇では慰霊の日と毎年お盆の三日間は誠の込めたお膳をお供えし、善言讃詞をお唱えさせて頂き御先祖様にお祈りさせていただきます。
善言讃詞は祖霊が大変お喜びになられる祝詞です。
『新家庭には必ず仏壇を設けねば駄目なんです。(中略)
ふつうの観音様や仏壇に善言讃詞を上げても駄目です。』
御光話録
普通の観音様と仏壇ではダメという意味は、メシヤ様の描かれた観音様をお仏壇に御奉斎して善言讃詞をあげると良いということですね。
いかに尊いことかと思います。
先祖供養は大変重要で、以前知人の友人が精神病ということで一度見てほしいという事がありました。
御神前で御浄霊させていただきますと、事象があり詳しくは言えませんがその方には水子が憑依し、苦しめておられるようでした。
本人に聞かせて頂きますと、確かにいらっしゃるとのことでした。
すぐ供養されるようにお話させて頂きましたが、霊友会の方のようでそちらで供養しますとのことでしたのでお祈りさせて頂きました。
その後2.3回来られましたが、三回目には初めて来られた時よりも断然顔色がよくなって、元気に帰られました。
こちらでの供養はできませんでしたが、数回の御浄霊でとても救われたのが分かりました。
"仏壇に習慣的に空念仏を毎朝晩おまいりする人と、十日に一ぺんでも心を込めてする人とはどちらを御先祖はお喜びになるでしょうか。"
『心をこめるような人は十日にいっぺんという事はない』
講話集(補)
日々、朝夕のおまいりは心を込めているからこそ出来るんだと仰せになられておられます。
現代は共稼ぎが多く朝もバタバタしてると思いますが、御参拝は一呼吸おいて、丁寧にさせて頂きたいものですね。
親族の供養の想いが何よりも1番喜ばれます。
『善言讃詞は世界的であるから、何宗でも構わぬ。』
(S24.8.9)
講話集(補)
"お葬式や法事に今の祝詞、善言讃詞を奏げてもよろしう御座居ませうか"
『葬式等で善言讃詞は奏げる程いい。祝詞と両方奏げればなほいい。霊がとても喜ぶ。そして霊界で早くよくなるのである。結婚式も両方奏げる方がよい。』
善言讃詞は宗教宗派超えた世界的な祝詞となっておりますので、どなたでもお唱えされて大丈夫です。
昨年は会員の方がお亡くなりになられ、葬儀の日には御神前にて御祈願させていただきました。
神界からは、『精一杯の誠で良い。霊界で準備は整っている』と御教導賜り誠を込めて執り行わせていただきました。
50日法要では、軽やかな足取りで門をくぐられて何度も振り返られてお辞儀をされ、霊界に旅立たれました。
善言讃詞は本当に有難いですね。
当教会はメシヤ様御在世当時の祝詞で奏上させて頂いております。