仏の資格
それから、阿弥陀如来の『覚者即ち仏の資格を得た者・・・』というお言葉のところが重要な意味を持ちます。
仏の資格、というと首を傾(かし)げる方も多いと思います。死んだらみんな仏様だ、という言い方もされますからね。確かに「成仏」という言葉を広辞苑などで調べますと、「死んで仏となること。」と記されています。しかし、「煩悩を解脱して仏果を得ること。さとりを開くこと。」ということがその前に出ています。実はそれが大事なことなのです。
これも仏像の話になりますが、仏像の頭に大きな瘤(こぶ)のように盛り上がった部分があります。あの形が覚りを開いた姿だと言われています。チャクラを頭部まで上げることができ、頭部が隆起するのです。その姿を形にしているのです。そして、その覚りの境地を如来、菩薩などと尊称するのです。
信仰は有り難い、お蔭をいただいた、ということがありますが、そのことが「入口」となって覚りを開くという「奥座敷」にまで進むことが大切です。皆さんには『神格をいただく道』を毎日拝読していただいておりますが、同じ願いがあるというように捉えておいていただきたいと思います。ただ有り難いだけでは出発点に立ったに過ぎないのです。
その点、仏教の世界では日蓮上人がそのことに気付き、仏教改革に立ち上がったのです。しかし、為政者と癒着した人々によって排斥されました。このことは周知の通りです。
御教えに、『夜昼転換』の黎明期は日蓮上人の出現によって迎えた、と説かれております。大転換期の黎明たる所以ですね。