天職使命を果たすことの重要性

私が天職使命を果たすことの重要性について強く学んだのは、札幌在任中でした。

当時、心臓に人工弁を入れている四十代男性がご神縁をいただいてきました。定職には就かず奥さんの収入で生活をしていました。前の帰属していた教団でも浄霊をいただいており、教団施設への参拝や奉仕をされていたようです。奥さんは少しでも働いてくれることを望んでおりました。

私は、勉強会や面談を通して、専従奉仕として使命を果たすか、何らかの仕事に就いて使命を果たすか、ということを提示して働きかけました。彼は暫らくして仕事を見つけ、体に無理にならない程度に働き始めました。奥さんの喜びようは大変なものでした。

そして、それから何年かが過ぎ、人工弁交換の手術(10年毎に取り換えなければ機能しなくなる)の時が巡ってきました。御守護お願いがありまして、私もご祈願をさせていただきました。すると、「取り出した人工弁がとても綺麗だ」と医者が驚いていたと言うのです。普通はドロドロしたものが付着しているそうなのですが、新品に近い状態だったそうです。

私は、御教え『人間とは』で述べられている『本来、人間というものは、神様の御目的たる理想世界を造る役目で生まれたものである以上、その御目的に叶うようにすれば、いつも無病息災愉快に働ける。これが不滅の真理である。』が閃(ひらめ)きました。彼は天職使命を果たすことで大変な御守護をいただいたのです。

また、同時期に、生活保護を受けていた五十代のご夫婦がご神縁をいただきました。ご主人は脳梗塞の後遺症で半身が不自由でした。そのお世話もあるので、奥さんは働けないということでした。

私は、ご主人の状態をつぶさに観察し、奥さんの働ける時間帯を提案しました。お二人とも協力し合って、奥さんが働くようになり、ついに生活保護を打ち切りました。そしてとても明るく生活できるようになりました。このご夫婦も前の帰属教団で浄霊をいただいていましたが、本当の意味で御教えを実践できていなかったのですね。いや、そうしたお世話を受けていなかったのですね。

ところが、ご夫婦が働き始めてから、不幸続きの娘達の上に変化が起り始めたのです。抱えていた問題が次々と解決し、運命が好転したのです。やがて娘達もご神縁をいただきました。私は、働くことの大切さをこの時ほど感得したことはありません。日本人の古来からの労働観は、占領政策及び戦後教育によって変質してしまっていますから、なおさら感慨深いものがありました。

ご祈願と浄霊と自己教育で魂の輝きを

何のために浄霊があるかということです。

浄霊は救いの業でありますが、前回触れたように天職使命、因縁使命を自覚し、それを果たして行くためにも浄霊はあるのです。胡坐(あぐら)をかくためにあるのではないのです。

よく引き合いに出すことですが、酒好きが酒を飲み過ぎ肝臓を悪くし、浄霊をいただくと良くなり、また大酒に浸るという、胡坐(あぐら)のかき方です。これでは、浄霊が便利屋になり、神様を道具に使っているようなものです。やはり、「浄霊で救われたが、これからは注意して生活をしよう」という自己変革に繋げて行かねばいけません。

それが『運命の転換』へということに繋がって行くのです。ここが信仰の神髄です。自己変革を発心することが、3月に触れた私達の『夜昼転換』なのです。

自己変革は、問題解決と同様で、最初のボタンの掛け違いを改めるようなところがありますが、習性化したものを変革して行かねばなりません。習性化したものはシミみたいなもので、中々取りにくいものです。掛け違いを発見したら、それを改めるように課題を設定し、行動を積み重ねなければなりません。これが自己教育に取り組むということです。

課題は自分の最も苦手なところですし、無意識の内に出る立ち居振る舞いですから、弱点がすぐに顔を覗かします。‘安き’に流れたくなります。そこにおいて力を下さるのが神様なのです。正しい願いは必ず叶えられる、とはそういうことです。

今月からお願いしております「祈願参拝」や「浄霊観のステップアップ」は、そうした本来の取り組みに向けて力強く歩を進めていただきたいために掲げたものです。地道に着実に取り組み、一層魂を輝かせていただきたい、と願っております。

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