うつ病
昨今うつ病に関するCMが増えている、ということにお気付きの方もいらっしゃると思います。いよいよ「最後の審判」の型が顕在化した、という印象です。
医者にかかると、やたらに精神安定剤が出されます。患者の精神を安定させたいということでしょうが、これでは新たな病人を創り出しているようなものです。入眠剤や安定剤を常用している人が国民の4割を超えたという報告があったのは随分前のことです。精神のバランスが取れない人は国民の4割以上いて、病院に入院すると新たな予備軍のようにされるのですから、とんでもない時代に突入しているのですね。
また、保険の適用のために、やたらと病名を確立しようとします。新たな病名が生まれますと、その名称を耳にするたびに「自分もそうではないか」と不安になり、不安ならよいのですが、安心してしまう場合もあります。いわゆる「刷り込み」が連鎖的に起っています。
「刷り込み」という心理学の言葉は、「夜の時代」の神々の行なった「すり替え」と言葉も似ていますが、共通しているところがあります。
「不機嫌」という言葉が多様されるようになった原因もこうしたことと無関係ではないでしょう。「不機嫌」がやがて「不和」ということになり、「争」を生じます。このような時代を見つめると、理想世界樹立が更に遠のいている感を深めますね。
そこで、やはり、ここに救いの手を差し伸べなくてはなりません。差し伸べ方というのは、浄霊によって魂を太くしていただく、ということが第一にあります。そして、それに合わせて自己教育の手法を教えて差し上げる、ということがあります。自己教育の手法は、相手の方の育った経緯と関連して、飲み込みが早い場合と時間のかかる場合がありますので、「メシヤ講座」の中で質疑応答を重ねると良いでしょう。また、他の方の体験を学ぶということを重ねることも有意義なことです。