教祖ご晩年のご面会はなぜ芸術論ばかりだったのか

ご在世当時に側近奉仕者であった方々のお話の中には、「教祖ご晩年のご面会では芸術のお話ばかりであった」というものがあります。問答形式の御教えを拝読させていただきますと、確かにご晩年の一時期にその様子が窺(うかが)えます。

これは、戦後の「美術品の海外流出」を防ぎ、しかもその尊い東洋美術の粋を広く一般公開し、人々の情操教育に貢献する、という取り組みの報告とその意義の説明でした。しかし当時の面会者の多くは浄霊や問題解決についてのお話を望んでいた、と聞きます。その意味するところをおまり理解されていなかったようです。

芸術は何故必要なのか、という問いについてですが、分刻みで重大な決断を迫られるような役職にある場合など、一分の空き時間といえども名品を目にするとス-ッと疲れが取れます。高い芸術品は心を満たすものがあるからです。メシヤ様は「芸術による天国化」「芸術による人格向上」を唱導されました。なるほど、と思わされるところです。

宗教の役割ということについては、「時代苦を救う」ということに加え、「人々を時代に活きいきと生きさせてあげる」ということがあります。「信仰読本」の中では余り触れておりませんので、ここで説明しておきます。ご面会には、そのことを踏まえてのお話が随所にありまして、芸術論はまさにその典型的なものでした。

そのことを理解できる人が先達の中に大勢いれば、ご昇天後の教団はもっと違った形になっていたと思われます。もともと救いも、時代性を理解していなければ成り立たない面があります。僭越な表現ながら、メシヤ様ご自身が宗教論をよくお解かりになられた上で御神業を進められておられたのです。

ですから、絶えず最新の情報を手に入れられようとしていました。ご散歩の際にも側近奉仕者へラジオを持参させて、ニュ-スに御耳を傾けられております。また、各階の識者へも寸暇を惜しんでご面会されております。

メシヤ様はご晩年に『地上天国建設の準備は全て整えた』と仰り、後人に任を託されました。そこに深い意味がある訳で、『教祖のご精神を現代に求める』ということが大切なのです。

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